ジョー・オマホニー
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基本情報 | ||||||
国籍 | アイルランド | |||||
没年月日 | 2014年1月7日(満65歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
Reds United | ||||||
Prospect | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1966-1986 | リムリック | 418 | (30) | |||
代表歴 | ||||||
1966-?? | アイルランド U-?? | |||||
1969 | アイルランド | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1984-1986 | リムリック | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョー・オマホニー(Joe O'Mahony、- 2014年1月7日[1])は、アイルランド出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。選手時代のポジションはセンターバック[1]。リムリック時代の背番号4は2014年1月より永久欠番となっている[2][3]。
来歴
[編集]レッズ・ユナイテッドでサッカーを始め、プロスペクト所属時の1966年に年代別アイルランド代表に選出され、3月18日の北アイルランド代表戦に出場した[4]。同年、リムリックと契約し、11月6日のスライゴ・ローヴァーズ戦でリーグ・オブ・アイルランドデビューを飾った[4]。
1969年、1970 FIFAワールドカップ予選のアイルランド代表に招集され、チェコスロバキア戦でベンチ入りしたが、出場機会はなかった[1][4]。1970年、リーグ・オブ・アイルランド選抜に選出され、スコティッシュ・フットボールリーグ選抜、オーストラリア代表戦に出場した[1][4]。
1971年にFAIカップ優勝、1980年代には主将として1980年のリーグ優勝、1982年のFAIカップ優勝を果たした[1][4]。1970年のダブリンシティカップ、1975年のリーグ・オブ・アイルランドカップでも優勝した[1][4]。
1984年から2年以上リムリックの監督を務めた後[4]、選手として復帰し、38歳で迎えた1986年10月25日のセント・パトリックス・アスレティック戦が現役最後の試合となった[1][4]。リムリックはシニアレベルで所属した唯一のクラブであり、20年間でJohnny Walshに次ぐクラブ歴代2位のリーグ戦418試合に出場し、30得点を記録した[4]。リムリックのファンには、フリーキックのスペシャリストとして知られていた[1][4]。
2014年1月7日、65歳で死去[1]。リムリックは選手時代の背番号4を永久欠番とすることを発表した。
獲得タイトル
[編集]- リーグ・オブ・アイルランド:1回
- 1979-80
- FAIカップ:2回
- 1970-71, 1981-82
- リーグ・オブ・アイルランドカップ:1回
- 1975-76
- ダブリンシティカップ:1回
- 1969-70
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i “Former Limerick captain Joe O'Mahony passes”. RTÉ (2014年1月7日). 2017年4月15日閲覧。
- ^ “Limerick FC Retire No4 Jersey”. Limerick FC (2014年1月8日). 2017年4月15日閲覧。
- ^ “Limerick remember Joe O'Mahony”. UEFA (2014年1月13日). 2017年4月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “One Year On: Remembering Limerick’s No4 Joe O’Mahony”. Limerick FC (2015年1月6日). 2017年4月15日閲覧。