ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン (第2代ヴァーノン男爵)
第2代ヴァーノン男爵ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン(英語: George Venables-Vernon, 2nd Baron Vernon、1735年5月9日 – 1813年6月18日)は、イギリスの貴族、政治家。庶民院議員(在任:1757年 – 1761年、1762年 – 1780年)を務めた[1]。
生涯
[編集]初代ヴァーノン男爵ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノンと1人目の妻メアリー(Mary、旧姓ハワード(Howard)、1710年4月26日ごろ – 1740年2月、第6代エフィンガムのハワード男爵トマス・ハワードの次女)の息子として、1735年5月9日にセント・ジェームズ・ウェストミンスターで生まれた[1]。1742年から1745年までウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[2]、1753年1月12日にケンブリッジ大学トリニティ・ホールに入学、1755年にM.A.の学位を修得した[3]。
1757年12月、ウェオブリー選挙区の補欠選挙に出馬して当選した[4]。ウェオブリーはウェイマス子爵家の懐中選挙区であり[4]、ヴェナブルズ=ヴァーノンは遠戚にあたる第3代ウェイマス子爵トマス・シンの支持を受けて当選した[2]。1761年イギリス総選挙で出馬せず、庶民院議員を退任した[2]。
1762年にダービー選挙区の現職議員だった父が叙爵され、ウィリアム・フィッツハーバート(William Fitzherbert)がブランバー選挙区の議席を辞してダービーの補欠選挙に出馬すると、ヴェナブルズ=ヴァーノンは同年5月にブランバーの補欠選挙に出馬して当選した[2]。議会では1762年12月に七年戦争の予備講和条約に反対、1763年11月にジョン・ウィルクスの逮捕をめぐり野党に同調して投票、1767年2月に土地税法案に反対票を投じた[2]。
1人目の妻との結婚(1757年)でグラモーガンに広大な領地を継承したため、1767年末のグラモーガンシャー選挙区の補欠選挙に出馬しようとした[2]。ヴェナブルズ=ヴァーノンは第5代ボーフォート公爵ヘンリー・サマセット、第5代準男爵サー・チャールズ・タイント、初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスなどトーリー党、ホイッグ党の両方から支持されたが、議員辞任のための官職就任を拒否され、補欠選挙には立候補できなかった[5]。その後、ヴェナブルズ=ヴァーノンは1768年と1774年の総選挙でグラモーガンシャーから出馬して、無投票で当選した[5]。1769年にウィルクスの議会追放に賛成したが、ミドルセックス選挙事件では野党に同調した[2]。ノース内閣期の1771年/1772年ごろに与党に転じたが、アメリカ独立戦争が勃発すると野党に戻り、1780年に議員を退任するまで野党にとどまった[2]。1780年8月21日に父が死去すると、ヴァーノン男爵位を継承した[1]。庶民院で演説した記録は1769年5月の1回だけだった[2]。
1813年6月18日にロンドンのパーク・プレイス(Park Place)で死去、弟ヘンリーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1757年7月16日、ルイーザ・バーバラ・マンセル(Louisa Barbara Mansell、1733年2月2日 – 1786年2月16日、第4代マンセル男爵ビュシー・マンセルの娘)と結婚、2男2女をもうけた[1]。
- ジョージ(1761年11月19日 – ?) - 夭折[1]
- シャーロット - 夭折[1]
- ジョージ - 夭折[1]
- ルイーザ・バーバリナ(Louisa Barbarina、1765年6月18日 – 1786年) - 生涯未婚[1]
1787年5月25日、ジェーン・ジョージアナ・フォーキア(Jane Georgiana Fauqier、1823年5月31日没、ウィリアム・フォーキアの娘)と再婚[1]、2女をもうけた[2]。
- ジョージアナ(1788年1月9日 – 1824年9月30日) - 1809年9月19日、第3代サフィールド男爵エドワード・ハーボード(1781年11月10日 – 1835年7月6日)と結婚、子供あり[6][7]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 27–28.
- ^ a b c d e f g h i j Brooke, John (1964). "VENABLES VERNON, George (1735-1813), of Briton Ferry, Glam. and Newick Park, Suss.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月4日閲覧。
- ^ "VERNON, GEORGE VENABLES. (VNN753GV)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Cannon, J. A. (1964). "Weobley". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月4日閲覧。
- ^ a b Thomas, Peter D.G. (1964). "Glamorgan". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月4日閲覧。
- ^ Farrell, Stephen; Healey, Robin (2009). "HARBORD, Hon. Edward (1781-1835), of Henbury House, nr. Wimborne Minster, Dorset and Gunton Hall, Norf.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月3日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 426.
外部リンク
[編集]グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョン・クラスター サヴェージ・モスティン |
庶民院議員(ウェオブリー選挙区選出) 1757年 – 1761年 同職:ジョン・クラスター |
次代 ティッチフィールド侯爵 ヘンリー・フレデリック・シン閣下 |
先代 ウィンタートン男爵 ウィリアム・フィッツハーバート |
庶民院議員(ブランバー選挙区選出) 1762年 – 1768年 同職:ウィンタートン男爵 |
次代 ウィンタートン男爵 チャールズ・ラウンズ |
先代 リチャード・ターバーヴィル |
庶民院議員(グラモーガンシャー選挙区選出) 1768年 – 1780年 |
次代 チャールズ・エドウィン |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョージ・ヴェナブルズ=ヴァーノン |
ヴァーノン男爵 1780年 – 1813年 |
次代 ヘンリー・ヴェナブルズ=ヴァーノン |