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ジョージ・ボスコーエン (第2代ファルマス伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代ファルマス伯爵ジョージ・ヘンリー・ボスコーエンGeorge Henry Boscawen, 2nd Earl of Falmouth1811年7月8日1852年8月29日)は、イギリスの貴族、政治家。保守党に属し、1841年に短期間庶民院議員を務めた[1]。1821年から1841年までボスコーエン=ローズ卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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初代ファルマス伯爵エドワード・ボスコーエンと妻アン・フランシス(1789年7月8日 – 1864年5月1日、ヘンリー・バンクス英語版の長女)の息子として、1811年7月8日にバークシャーのウールハンプトン・ハウス(Woolhampton House)で生まれ、8月25日にコーンウォールペンケヴィル英語版で洗礼を受けた[1]。1822年ごろから1827年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1829年10月16日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1833年にB.A.、1835年にM.A.の学位を修得した[2]

1841年イギリス総選挙保守党候補としてウェスト・コーンウォール選挙区英語版から出馬、無投票で当選した[3]。同年12月29日に父が死去すると、ファルマス伯爵位を継承した[1]

1852年8月29日にセント・ジェームズ・スクエア英語版2号にある自宅で死去、9月7日にペンケヴィルで埋葬された[1]。生涯未婚であり、ファルマス伯爵位は廃絶、従属爵位であるファルマス子爵位は叔父ジョン・エヴリンの息子エヴリンが継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 248.
  2. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Boscawen, George Henry Boscawen-Rose, Lord" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 1. Oxford: Parker and Co. p. 135. ウィキソースより。
  3. ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 366. ISBN 978-1-349-02349-3

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
サー・チャールズ・レモン準男爵英語版
エドワード・ウィン=ペンダーヴス英語版
庶民院議員(ウェスト・コーンウォール選挙区英語版選出)
1841年
同職:エドワード・ウィン=ペンダーヴス英語版
次代
サー・チャールズ・レモン準男爵英語版
エドワード・ウィン=ペンダーヴス英語版
イギリスの爵位
先代
エドワード・ボスコーエン
ファルマス伯爵
1841年 – 1852年
廃絶
グレートブリテンの爵位
先代
エドワード・ボスコーエン
ファルマス子爵
1841年 – 1852年
次代
エヴリン・ボスコーエン