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ジョージ・フォーブス (第4代グラナード伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代グラナード伯爵ジョージ・フォーブス英語: George Forbes, 4th Earl of Granard1710年3月15日1769年10月16日)は、アイルランド王国の貴族、政治家、イギリス陸軍の軍人。1734年から1765年までフォーブス子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第3代グラナード伯爵ジョージ・フォーブス英語版メアリー・ステュアート英語版初代マウントジョイ子爵ウィリアム・ステュアート英語版の娘)の息子として、1710年3月15日にイングランドで生まれた[1]

1726年にイギリス陸軍に入隊、オーストリア継承戦争中のトゥーロンの海戦(1744年)に参戦した後[1]、1754年から1757年までアイルランド陸軍主計総監(Quarter Master General of the Irish Army)を務めた[2]。1756年に中佐に昇進、同年に第76歩兵連隊英語版隊長(軍階は大佐)に昇進、1759年に少将に、1765年に中将に昇進した[2]。また、1761年に第29歩兵連隊英語版隊長に転じ、1769年まで務めた[2]

政界では1749年から1765年までマリンガー選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[3]。1761年の選挙ではマリンガー選挙区のほかにもロングフォード県セント・ジョンズタウン選挙区英語版で当選したが、引き続きマリンガー選挙区の代表として議員を務めた[3]。1765年6月19日に父が死去すると、グラナード伯爵位を継承、同年10月22日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。また、1756年から1769年までロングフォード県総督を、1765年から1769年までロングフォード県首席治安判事英語版を務めた[2]

1769年10月16日にキャッスル・フォーブス英語版で死去、ニュータウンフォーブス英語版で埋葬された[1]。同名の息子ジョージが爵位を継承した[1]

家族

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1736年7月16日、レティシア・デイヴィス英語版(1778年5月19日没、アーサー・デイヴィス英語版の娘)と結婚[1]、1男をもうけた[2]

  • ジョージ(1740年 – 1780年) - 第5代グラナード伯爵

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 72–73.
  2. ^ a b c d e "Granard, Earl of (I, 1684)". Cracroft's Peerage (英語). 12 January 2007. 2020年4月16日閲覧
  3. ^ a b "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月16日閲覧
アイルランド議会
先代
サー・アーサー・アチソン準男爵英語版
ジョン・ロッチフォート英語版
庶民院議員(マリンガー選挙区英語版選出)
1749年 – 1765年
同職:ジョン・ロッチフォート英語版 1749年 – 1760年
ジョン・フォーブス閣下英語版 1761年 – 1765年
次代
リチャード・スティール英語版
ジョン・フォーブス閣下英語版
先代
ジョン・フォーブス閣下英語版
トマス・ニューコメン
庶民院議員(セント・ジョンズタウン選挙区英語版選出)
1761年
同職:チャールズ・ニューコメン
次代
ジョージ・フォーブス
チャールズ・ニューコメン
軍職
新設連隊 第76歩兵連隊英語版隊長
1756年 – 1761年
次代
ウィリアム・ルフェイン英語版
先代
ジョージ・ボスコーエン英語版
第29歩兵連隊英語版隊長
1761年 – 1769年
次代
ウィリアム・エヴリン英語版
アイルランドの爵位
先代
ジョージ・フォーブス英語版
グラナード伯爵
1765年 – 1769年
次代
ジョージ・フォーブス