ジョージ・フォーブス (第4代グラナード伯爵)
第4代グラナード伯爵ジョージ・フォーブス(英語: George Forbes, 4th Earl of Granard、1710年3月15日 – 1769年10月16日)は、アイルランド王国の貴族、政治家、イギリス陸軍の軍人。1734年から1765年までフォーブス子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第3代グラナード伯爵ジョージ・フォーブスとメアリー・ステュアート(初代マウントジョイ子爵ウィリアム・ステュアートの娘)の息子として、1710年3月15日にイングランドで生まれた[1]。
1726年にイギリス陸軍に入隊、オーストリア継承戦争中のトゥーロンの海戦(1744年)に参戦した後[1]、1754年から1757年までアイルランド陸軍主計総監(Quarter Master General of the Irish Army)を務めた[2]。1756年に中佐に昇進、同年に第76歩兵連隊隊長(軍階は大佐)に昇進、1759年に少将に、1765年に中将に昇進した[2]。また、1761年に第29歩兵連隊隊長に転じ、1769年まで務めた[2]。
政界では1749年から1765年までマリンガー選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[3]。1761年の選挙ではマリンガー選挙区のほかにもロングフォード県のセント・ジョンズタウン選挙区で当選したが、引き続きマリンガー選挙区の代表として議員を務めた[3]。1765年6月19日に父が死去すると、グラナード伯爵位を継承、同年10月22日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。また、1756年から1769年までロングフォード県総督を、1765年から1769年までロングフォード県首席治安判事を務めた[2]。
1769年10月16日にキャッスル・フォーブスで死去、ニュータウンフォーブスで埋葬された[1]。同名の息子ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1736年7月16日、レティシア・デイヴィス(1778年5月19日没、アーサー・デイヴィスの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[2]。
- ジョージ(1740年 – 1780年) - 第5代グラナード伯爵
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 72–73.
- ^ a b c d e "Granard, Earl of (I, 1684)". Cracroft's Peerage (英語). 12 January 2007. 2020年4月16日閲覧。
- ^ a b "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月16日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 サー・アーサー・アチソン準男爵 ジョン・ロッチフォート |
庶民院議員(マリンガー選挙区選出) 1749年 – 1765年 同職:ジョン・ロッチフォート 1749年 – 1760年 ジョン・フォーブス閣下 1761年 – 1765年 |
次代 リチャード・スティール ジョン・フォーブス閣下 |
先代 ジョン・フォーブス閣下 トマス・ニューコメン |
庶民院議員(セント・ジョンズタウン選挙区選出) 1761年 同職:チャールズ・ニューコメン |
次代 ジョージ・フォーブス チャールズ・ニューコメン |
軍職 | ||
新設連隊 | 第76歩兵連隊隊長 1756年 – 1761年 |
次代 ウィリアム・ルフェイン |
先代 ジョージ・ボスコーエン |
第29歩兵連隊隊長 1761年 – 1769年 |
次代 ウィリアム・エヴリン |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・フォーブス |
グラナード伯爵 1765年 – 1769年 |
次代 ジョージ・フォーブス |