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ジョージ・ネヴィル (初代アバーガヴェニー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代アバーガヴェニー伯爵ジョージ・ネヴィル英語: George Nevill, 1st Earl of Abergavenny1727年6月24日1785年9月9日)は、イギリスの貴族。1744年から1784年までアバーガヴェニー男爵の称号を使用し、1784年にアバーガヴェニー伯爵に叙された。

生涯

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第16代アバーガヴェニー男爵ウィリアム・ネヴィルと1人目の妻キャサリン・タットン(Katherine Tatton、1729年12月4日没、ウィリアム・タットン英語版の娘)の長男として1727年6月24日に生まれ、7月14日にウェストミンスター聖マーガレット教会で洗礼を受けた[1]。洗礼のときの名親は国王ジョージ2世だった[1]

1744年9月21日に父が死去すると、アバーガヴェニー男爵の爵位を継承した[1]。翌1745年2月14日にはオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]

1757年7月にサセックス統監英語版に任命されたが、1761年7月に辞任した[1]

1784年3月17日、アバーガヴェニー伯爵とバーリングのネヴィル子爵(いずれもグレートブリテン貴族)に叙された[1]

1785年9月9日に死去、長男ヘンリー英語版が爵位を継承した[1]

家族

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アバーガヴェニー男爵夫人ヘンリエッタ・ペラム英語版の肖像画、ウィリアム・ホーア作。

1753年2月5日、ヘンリエッタ・ペラム英語版(1730年 – 1768年、トマス・ペラム英語版の娘)と結婚[1]、2男1女を儲けた[3]

ホレス・ウォルポールの1765年2月12日の手紙によると、アバーガヴェニー男爵が不貞をはたらいたため夫婦が別居を検討していたという[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 40, 42.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Nevill, George, Lord Abergavenny". Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 1012.
  3. ^ "Abergavenny, Earl of (GB, 1784)". Cracroft's Peerage (英語). 17 February 2012. 2019年7月29日閲覧

外部リンク

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名誉職
先代
アシュバーナム伯爵
サセックス統監英語版
1757年 – 1761年
次代
ニューカッスル公爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 アバーガヴェニー伯爵
1784年 – 1785年
次代
ヘンリー・ネヴィル英語版
イングランドの爵位
先代
ウィリアム・ネヴィル
アバーガヴェニー男爵
1744年 – 1785年
次代
ヘンリー・ネヴィル英語版