ジョージ・ジーン・ネーサン
George Jean Nathan | |
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1928年 | |
生誕 |
1882年2月14日 フォートウェイン |
死没 |
1958年4月8日 (76歳没) ニューヨーク市 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 演劇評論家、雑誌編集者 |
ジョージ・ジーン・ネーサン(英:George Jean Nathan、1882年2月14日-1958年4月8日)[1]は、米国の演劇評論家、雑誌編集者。H. L. メンケンとともに文学雑誌『スマートセット』の編集者として活動し、後に『アメリカン・マーキュリー』誌を創刊・編集した。
インディアナ州のフォートウェインに生まれ、コーネル大学を1904年に卒業。大学では『コーネル・デイリー・サン』を編集し、栄誉学生会「Quill and Dagger」に名を連ねた。『バチェラー・ライフ』に対する賛辞を1941年に刊行する一方で、ネーサンは色男として知られ「Ladies man」の異名を持っていた。1955年には若年のジュリー・ヘイドンと結婚した。
1958年、ニューヨーク市にて逝去。76歳だった。ネーサンの名を冠する演劇評論賞「ジョージ・ジーン・ネーサン賞」など、演劇評論界に足跡を残した。「One does not go to the theater to see life and nature; one goes to see the particular way in which life and nature happen to look to a cultivated, imaginative and entertaining man who happens, in turn, to be a playwright」[2]や「Great art is as irrational as great music. It is mad with its own loveliness」[3]、「Bad officials are elected by good citizens who do not vote」[4](誤った為政者は、投票に行かない善良な市民によって選出される)、「Opera in English is, in the main, just about as sensible a plea as baseball in Italian」[5]など、数々の名言が遺されている。
脚注
[編集]- ^ 日本語表記「ジョージ・ジーン・ネーサン」は日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部(2001)による。
- ^ Lumley, Frederick (1972). New Trends in 20th Century Drama: A Survey Since Ibsen and Shaw. London: Barrie and Jenkins. pp. 12. ISBN 978-0-19-519680-1
- ^ Nathan, George Jean、1926、『The house of Satan』A. A. Knopf。
- ^ Fadiman, Clifton、1955、『The American treasury, 1455-1955』Harper。
- ^ Nathan, George Jean (1926年1月). “Clinical Notes”. American Mercury magazine. 2013年7月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部、2001、「ネーサン」『日本国語大辞典 第2版 第10巻』小学館、2001年10月、ISBN 4095210109、全国書誌番号:20229737(2013年7月21日参照、http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%B3&fr=dic&stype=prefix )。
外部リンク
[編集]- コーネル大学ジョージ・ジーン・ネーサン賞
- George Jean Nathanの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- ジョージ・ジーン・ネーサン - Find a Grave