ジョヴァンニ・ビアンキ
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ジョヴァンニ・ビアンキ(Giovanni Bianchi、筆名:ヤーノ・プランコ(Jano Planco、Janus Plancus)、1693年1月3日 - 1775年12月3日)は、イタリアの医師、博物学者である。
略歴
[編集]現在のエミリア=ロマーニャ州のリミニに、薬局を営む父のもとに生まれた。イエズス会の学校で学んだ後、1717年に大学に入学し、医学、哲学を学び、1719年に卒業したとされる。有孔虫に関する著作、"De Conchis minus notis liber" (1739)など博物学、医学に関する多くの著作を行った。1741年から1744年の間、トスカーナ大公に招かれて、シエナ大学の解剖学の教授を務めた。
珍奇な博物学的資料を展示する「驚異の部屋」を作った一人であり、1745年に17世紀初めに30年ほど活動した学会、アッカデーミア・デイ・リンチェイの再興を企てた。
オニヒトデ科に属する動物の種、オニヒトデ(Acanthaster planci)の学名はビアンキの筆名に因んで命名された。
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De conchis minus notis liber, 1739
参考文献
[編集]- ^ Giovanni Bianchi in Dizionario biografico degli italiani, Istituto dell'Enciclopedia Italiana.
- Una completa storia dei Lincei riminesi è contenuta nel saggio Tra erudizione e Nuova Scienza. I Lincei riminesi di * Giovanni Bianchi (1745), apparso in «Studi Romagnoli» LII (Cesena 2004, pp. 401–492).
Dictionnaire universel d’histoire et de géographie Bouillet Chassang