ジョヴァンニ・バティスタ・フェラーリ
ジョヴァンニ・バティスタ・フェラーリ(Giovanni Baptista (またはBattista) Ferrari、1584年 - 1655年2月1日)は、イタリアのイエズス会士、グレゴリアン大学の教授である。植物図譜や、ラテン語-シリア語辞典の編集を行った。
シエナの裕福な家に生まれた。1602年にローマでイエズス会に入会し、著作のかたわら、ローマのイエズス会の大学でヘブライ語と修辞学の教授を務め、教皇の園芸の顧問を務めた。語学の才に恵まれ、21歳でヘブライ語を自由に扱い、ギリシャ語とラテン語の優れた文章を書くことができた。
ローマの実力者であったフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿の個人植物園Horti Barberiniを管理し、植物園の植物を学び、1632年に園芸書、De Florum Culturaを出版した。添付された植物図は、最初の女性版画家とされるアンナ・マリア・ヴァリアナ(Anna Maria Variana)を含む版画家が作成した。第1版はバルベリーニに献じられた[1]。
1646年に、柑橘類の栽培に関する著書『ヘスペリデスの園、あるいは黄金の林檎の栽培と使用法』(Hesperides sive de Malorum Aureorum Cultura et Usu Libri Quatuor)を出版した[2]。学者で柑橘類に詳しい、カッシアーノ・ダル・ポッツォと協力し、図版は有名な版画家ヨハン・フリードリヒ・グロイテル、コルネリス・ブルーマールト、ニコラ=ジョゼフ・フーコーらが描いた。ライムやレモン、ザクロに関して詳しい解説がされた最初の著書である。
アヤメ科植物フェラーリア(Ferraria)の属名は、フェラーリへの献名。
フェラーリの書籍の画像
[編集]著書
[編集]- Hesperides Sive De Malorvm Avreorvm Cvltvra Et Vsv Libri Quatuor. Rom: Scheus; Mascardi, 1646
- De Florum Cultura. Flora Sive Florum Cultura. Rom: Paulinus, 1633
- Orationes. Rom, 1627
- Nomenclator syriacus. Rom: Paulinus, 1622
脚注
[編集]- ^ Fountains, statues, and flowers: studies in Italian gardens of the sixteenth and seventeenth centuries by Elisabeth B. MacDougall (Dumbarton Oaks, 1994)
- ^ ヘレナ・アトレー『柑橘類と文明 マフィアを生んだシチリアレモンから、ノーベル賞をとった壊血病薬まで』築地書館、2015年、63頁。ISBN 978-4-8067-1493-4。