ジョン・ペティ
ジョン・ペティ John Pettie | |
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自画像(1881年) | |
生誕 |
1839年3月17日 スコットランド,エディンバラ |
死没 |
1893年2月21日 イングランド,ヘイスティングス |
ジョン・ペティ(John Pettie RA、1839年3月17日 - 1893年2月21日)はスコットランド生まれの画家である。風俗画や肖像画を描いた。
略歴
[編集]エディンバラに生まれた。1852年に家族とスコットランド、イースト・ロージアンのイースト・リントンに移った[1]。父親は美術の道に進むことに反対したが、描いて見せた村の若者とロバの絵は絵の才能を父親に納得させた[2]。
16歳でエディンバラの美術学校、トラスティーズ・アカデミー(Trustees Academy)に入学し、ロバート・スコット・ローダーに学んだ。同時期の学生にはウィリアム・オーチャードソン(1832-1910)やジョン・マクワーター(1839-1911)、ウィリアム・マクタガート(1835-1910)、ジョージ・チャルマーズ(1833-1878)らがいた[1]。1858年に王立スコットランド・アカデミーの展覧会に、スコットランドの小説家ウォルター・スコットの小説の場面を描いた絵と、2点の肖像画を出展した。ウォルター・スコットの小説の場面はその後も何度も描くことになった。1859年にも王立スコットランド・アカデミーの展覧会に出展し、1860年には、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展し翌年、ロンドンに移り、オーチャードソンと共同でスタジオを開いた[2]。
1866年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1874年にエドウィン・ランドシーアの後任として正会員に選ばれた[1]。
熱心なアマチュア音楽家でもあり、若いスコットランドの作曲家、ヘイミッシュ・マッカンを自らのスタジオでコンサートを開くなどして支援した。ペティの娘はマッカンと結婚した。
作品
[編集]-
Who Goes
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16世紀の衣装を着た肖像画
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ジャコバイト (1874)
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路傍の説教者
脚注
[編集]参考文献
[編集]- The book John Pettie, R.A., H.R.S.A. (London, 1908), by his nephew Martin Hardie, gives the story of his life, a catalogue of his pictures, and fifty reproductions in color.