ジョン・ヘンリー・コーツ
表示
ジョン・ヘンリー・コーツ | |
---|---|
ジョン・ヘンリー・コーツ | |
生誕 |
John Henry Coates 1945年1月26日[1] オーストラリア、ニューサウスウェールズ州 |
死没 |
2022年5月9日(77歳没) イギリス、ケンブリッジ |
居住 | イギリス、ケンブリッジ |
国籍 | オーストラリア |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | |
出身校 |
|
博士論文 | The Effective Solution of Some Diophantine Equations (1969) |
博士課程 指導教員 | アラン・ベイカー[2] |
博士課程 指導学生 |
|
主な業績 | |
影響を 受けた人物 | ジョン・テイト[4] |
主な受賞歴 | シニア・ホワイトヘッド賞(1997年) |
配偶者 | ジュリー・ターナー[1] |
公式サイト dpmms | |
プロジェクト:人物伝 |
ジョン・ヘンリー・コーツ (John Henry Coates, 1945年1月26日 - 2022年5月9日[5]) は、オーストラリア出身の数学者。ケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジ教授。専門は数論、数論幾何学、岩澤理論。
オーストラリア国立大学を卒業後はフランスのエコール・ノルマル・シュペリウールに留学。フランス留学を終えた後にイギリスのケンブリッジ大学でアラン・ベイカーのもとで博士号を取得。その後ハーバード大学、スタンフォード大学、オーストラリア国立大学等を経て現職。
業績
[編集]ベイカーとともに代数的K-理論における貢献。楕円曲線のヴェイユ予想の特別な場合を解決した。アンドリュー・ワイルズとともに岩澤理論をバーチ・スウィナートン=ダイヤー予想に応用し、虚数乗法を持つ楕円曲線について非常に大きな貢献をした。岩澤理論とp-進 L関数との関係や、p-進 リー群の岩澤理論、岩澤理論のモチーフや変形理論、岩澤理論のデデキント ゼータ関数への応用、加藤和也とともに非可換岩澤理論の構築などなど数論 (特に岩澤理論) への貢献は非常に大きい。
岩澤理論と名づけたのはコーツ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズはコーツの弟子である。
略歴
[編集]- 1945年 - オーストラリアのニューサウスウェールズに生まれる。
- 1969年 - ケンブリッジ大学で博士号を取得。ハーバード大学助教授に就任。
- 1972年 - スタンフォード大学準教授に就任。
- 1975年 - ケンブリッジ大学フェローに就任。
- 1977年 - オーストラリア国立大学教授に就任。
- 1978年 - パリ南大学 (パリ第IX大学) 教授に就任。
- 1985年 - エコール・ノルマル・シュペリウール教授に就任。王立協会フェローに選出。
- 1986年 - ケンブリッジ大学教授に就任。
- 1997年 - ロンドン数学会よりシニア・ホワイトヘッド賞を受賞。
脚注
[編集]- ^ a b c “COATES, Prof. John Henry”. Who's Who 2014, A & C Black, an imprint of Bloomsbury Publishing plc, 2014; online edn, Oxford University Press. 2014年5月27日閲覧。(要購読契約)
- ^ a b ジョン・ヘンリー・コーツ - Mathematics Genealogy Project
- ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “ジョン・ヘンリー・コーツ”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.
- ^ John Coates interviewed by Alan Macfarlane, (15 February 2008) 30 March 2009閲覧。
- ^ “Professor John Coates” (英語). www.emma.cam.ac.uk. 2022年5月10日閲覧。