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ジョン・フー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・リュー・フー
John Liu Fugh
傅履仁
ジョン・フー少将
生誕 (1934-09-12) 1934年9月12日
中華民国の旗 中華民国 北平市
死没 2010年5月11日(2010-05-11)(75歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ベセスダ
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1961年 - 1993年
最終階級 少将(Major General)
除隊後 法律家
墓所 アーリントン国立墓地
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ジョン・リュー・フー(John Liu Fugh, 1934年9月12日 - 2010年5月11日[1] )は、アメリカの軍人、法律家。中国名は傅 履仁(フー・リュージェン、ふ・りじん)[2]アメリカ陸軍における最初の中国系アメリカ人将官で、陸軍法務総監英語版(Judge Advocate General of the United States Army)などを務めた[3][4][5][6]

若年期

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1934年、北平市(現:北京市)で生まれる。父フィリップ・フー (Philip Fugh) こと傅涇波(フー・ジンボー、ふ・じんは)は満人系貴族である富察氏中国語版の末裔で[7]、在中国米国大使にして燕京大学学長であるジョン・レイトン・スチュアート英語版の元で長年働いていた。1950年、一家はアメリカへ移住する[3][8][9]

渡米後、フーはジョージタウン大学エドムンド・A・ウォルシュ海外勤務学校英語版に通い、国際関係論に関する理学士号(Bachelor of Science)を受けて卒業している。1957年にアメリカ合衆国の市民権を取得した後、ジョージ・ワシントン大学法学部英語版で学び、法務博士(Juris Doctor)を受けて卒業[9]

1960年11月21日、コロンビア特別区法曹会(District of Columbia Bar)の会員となる[10]。さらにハーバード大学ケネディスクール陸軍指揮幕僚大学陸軍大学校を卒業している[3]

軍歴

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1961年、アメリカ陸軍法務隊英語版(JAG)に入隊。1969年から1972年にかけて、フーはサンフランシスコ、ベトナム、欧州、台湾などに勤務した[9]。1973年から1976年まで弾道ミサイル防衛局(Ballistic Missile Defense Office)の法務顧問を務める。1976年から1978年、フランクフルトに所在する第3機甲師団に法務幕僚(Staff Judge Advocate)として勤務[9]。1979年から1982年、兵力・予備役に関する国防長官補(Assistant Secretary of Defense (Manpower and Reserve Affairs))付の法務顧問。1982年から1984年、陸軍訴訟手続総監(Chief of Army Litigation)を務める。

1984年、フーは准将に昇進し、法務総監付民法補佐(Assistant Judge Advocate General for Civil Law)に就任。この職にある間、彼は陸軍法務隊の中で環境法部および調達詐称部の創設に関わっている。

1991年7月26日から1993年9月30日まで法務総監(The Judge Advocate General, TJAG)を務める[9]。法務総監として、フーは発展途上国の為の人権教育プログラムの確立や戦争犯罪報告書の公開などの功績を残した[9]湾岸戦争中は陸軍参謀総長の法務顧問たる役割を果たした[9]。また、法務隊の研究教育組織として、砂漠の嵐評価チーム(Desert Storm Assessment Team)の設置を行なっている[9]

1993年、少将として退役する[8]。退役の際、陸軍参謀総長より陸軍殊勲章英語版が授与されている[9]

陸軍退役後

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退役後、リッチモンドに拠点を置く法律事務所マクガイア・ウッズ・バトル・アンド・ブース英語版のワシントンDC支部に雇用される[3]。1995年にはマクドネル・ダグラス社の中国支社長に就任。同社がボーイング社に合併した後にはボーイング・チャイナ社(Boeing China, Inc.)の取締役副社長(Executive Vice President)に就任[3]。1997年、中国のエンロン・インターナショナル英語版に議長(Chairman)として招かれ、中国政府との交渉および連絡を担当した[3]

2001年、エンロンを退職。以後は米中関係の改善に向けた活動を積極的に行い、中国系アメリカ人団体の百人会英語版では副議長および議長を務めた。百人会の目的は、米中関係の強化とアメリカ社会における中国系アメリカ人の支援である[11]大西洋評議会の執行委員会にも名を置いていたほか[2][3][12]国立日系アメリカ人記念財団、アジア系協会ワシントンセンター諮問委員会などのアジア系アメリカ人団体にも所属した。2010年5月11日、心臓発作により75歳で死去。

フーはジューン・チャン(June Chung)こと宗毓珍(ゾン・ユージェン、そう・いくちん)と結婚した。彼女はコニー・チャンの姉にあたる。フーとチャンの間にはジャスティーナ(Justina)とジャレット(Jarrett)の2人の子供があった。フーの死後、家族はバージニアに暮らしている。

受賞など

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2004年、中国系アメリカ人組織から、彼の功績と中国系アメリカ人社会への貢献をたたえてパイオニア賞(Chinese American Pioneer Award)が授与された[3][13][14]。2008年、ホワイトハウスで開かれた式典の中でアメリカ合衆国市民権・移民業務局英語版により「優れたアメリカ人」(Outstanding American)に選ばれた。また同年、全米アジア・太平洋アメリカ法曹会協会(National Asian Pacific American Bar Association, NAPABA)から先駆者賞(Trailblazer Award)を送られている。

勲章・記章等

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ジョン・フーはアメリカ陸軍の将校として次のような勲章・記章類を受章している。

脚注

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  1. ^ Washington Post
  2. ^ a b Zheng, Yunzhang (March 29, 2006). “美陆军首位华裔将军傅履仁将接掌美国百人会 (US Army's First Chinese General John Fu To Lead Committee of 100)” (Chinese). Zhongguo Xinwenwang. http://www.chinanews.com.cn/news/2006/2006-03-29/8/709581.shtml October 29, 2007閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h China Central Television (2005年). “General John Fugh: Overcoming racial boundaries”. China Central Television. October 28, 2007閲覧。
  4. ^ Neil A. Lewis, Thom Shanker (January 4, 2004). “As Chaplain's Spy Case Nears, Some Ask Why It Went So Far”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2004/01/04/us/as-chaplain-s-spy-case-nears-some-ask-why-it-went-so-far.html October 28, 2007閲覧。 
  5. ^ Partners in Healthcare. “John L. Fugh”. Partners in Healthcare. 2006年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月28日閲覧。
  6. ^ Japanese American Veterans Association. “Asian Pacific American Generals and Admirals”. Japanese American Veterans Association. October 28, 2007閲覧。
  7. ^ アーカイブされたコピー”. 2011年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月6日閲覧。
  8. ^ a b Human Rights First (2004年). “Biographical Information of Retired Generals and Admirals”. Human Rights First. 2007年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月29日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i St. Louis Chinese American News. “Accomplished Chinese American: John Liu Fugh”. Archive. St. Louis Chinese American News. October 28, 2007閲覧。
  10. ^ The District of Columbia Bar (2007年). “Find a Member”. The District of Columbia Bar. October 28, 2007閲覧。
  11. ^ Meghan Wons (2006年). “Dean Woo dines with Bush, Chinese president”. The Observer. October 29, 2007閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ Committee of 100 (2005年). “Committee of 100 – Background”. Committee of 100. October 29, 2007閲覧。
  13. ^ St. Louis Chinese American News (2004年). “Committee of 100 Salutes General John L. Fugh”. St. Louis Chinese American News. October 29, 2007閲覧。
  14. ^ Organization of Chinese Americans, Inc. (2004年). “Organization of Chinese Americans, Message from the President”. Organization of Chinese Americans, Inc.. 2007年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月28日閲覧。

外部リンク

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軍職
先代
ウィリアム・K・スーター英語版
(代行)
アメリカ陸軍法務総監英語版
1991年 - 1993年
次代
マイケル・J・ナードッティ英語版