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ジョン・ビング (初代ストラフォード伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代ストラフォード伯爵
ジョン・ビング
John Byng
1st Earl of Strafford
初代ストラフォード伯ジョン・ビング(ウィリアム・ソルター英語版画)
生誕 1772年
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国 ロンドンバークリー広場英語版
死没 1860年6月3日
イギリスの旗 イギリス ロンドン・グローヴナー広場英語版
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1793年 - 1831年
最終階級 陸軍元帥
除隊後 庶民院議員
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初代ストラフォード伯爵ジョン・ビング英語: John Byng, 1st Earl of Strafford, GCB, GCH, PC (Ire)1772年 - 1860年6月3日)は、イギリスの陸軍軍人、政治家、貴族。

フランス革命戦争ナポレオン戦争にイギリス軍指揮官の一人として従軍した。最終階級は陸軍元帥1835年にストラフォード男爵、1847年にストラフォード伯爵に叙された。

経歴

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1772年庶民院議員ジョージ・ビングとその妻アン(旧姓コノリー)の4男として生まれる。父ジョージは初代トリントン子爵ジョージ・ビングの4男ロバート・ビング英語版の長男であり、母アンは初代ストラフォード伯爵トマス・ウェントワースの外孫にあたる[1]

1793年9月30日第33代歩兵連隊英語版少尉(Ensign)として入隊[2]。同年12月1日中尉(lieutenant) [3]1794年12月27日大尉(captain)に昇進した[4]

1795年にはフランス革命戦争フランダース作戦英語版に従軍するためオランダに派兵され、ゲルダーマルセンオランダ語版での戦闘で負傷した[5]。その後、アイルランド南部地区のリチャード・ヴァイス将軍の副官(aide-de-camp)となり、1798年アイルランド反乱英語版の鎮圧戦に参加して再び負傷した[5]

1799年12月28日第60歩兵連隊英語版少佐(major)となり[6]1800年3月18日には第29歩兵連隊の中佐(lieutenant-colonel)に昇進した[7]1804年8月11日にはスコットランド第3近衛歩兵連隊に異動した[8]

ナポレオン戦争にも従軍し、1805年ハノーファー遠征、1807年8月のコペンハーゲンの戦い英語版1809年秋のワルヘレン作戦英語版に参加した[5]1810年7月25日大佐(colonel)に昇進した[9]1811年9月には半島戦争に派遣され、ローランド・ヒル英語版将軍率いる師団に属する旅団の司令官を務めた[5]1813年6月4日少将(major-general)に昇進[5]1814年2月のオルテズの戦い英語版、1814年4月のトゥールーズの戦い英語版に参加した[5]。ナポレオン復権(百日天下)後の1815年6月のカトル・ブラの戦いワーテルローの戦いにも第2近衛旅団を率いて参加した[5]

ナポレオン敗退後も1819年までフランス占領軍として大陸に留まった[10]。その後は北部司令部司令官英語版に就任した[10]。また1816年から1819年まで第4西インド連隊英語版、1822年から1828年まで第2西インド連隊英語版の名誉連隊長(colonel)に就任した[10]1825年5月27日中将(lieutenant general)に昇進した[11]1828年から1831年にかけてはアイルランド最高司令官英語版を務め、また1828年から第29歩兵連隊英語版の名誉連隊長となる[10]

1831年から1835年までプール選挙区英語版から選出されてホイッグ党庶民院議員を務める[1][12]。同時期ホイッグ政権が推し進めていた選挙法改正法案の可決に尽力した[10]

1832年6月15日には名誉職のロンドンデリー総督英語版に就任した[13]1835年5月に連合王国貴族爵位ストラフォード男爵(Baron Strafford)に叙せられ[1]貴族院議員に列する[12]1841年11月23日に大将(general)に昇進[14]1847年9月には連合王国貴族爵位インフィールド子爵(Viscount Enfield)とストラフォード伯爵に叙せられた[1]1850年8月にはコールドストリームガーズの名誉連隊長に就任[10]1855年10月2日陸軍元帥に昇進[15]

1860年6月3日にロンドン・グローヴナー広場英語版で死去[10]。爵位は長男ジョージ・ビング英語版が継承した[1]

栄典

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爵位

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1835年5月12日に以下の爵位に叙される[1]

  • ミドルセックス州におけるハーモンズワースの初代ストラフォード男爵 (1st Baron Strafford, of Harmondsworth in the County of Middlesex)
(勅許状による連合王国貴族爵位)

1847年9月18日に以下の爵位に叙される[1]

(勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ミドルセックス州におけるインフィールドの初代インフィールド子爵 (1st Viscount Enfield, of Enfield in the County of Middlesex)
(勅許状による連合王国貴族爵位)

勲章

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家族

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1804年にメアリー・マッケンジー(-1806)と最初の結婚をし、彼女との間に以下の1男を儲けた[1]

1806年にメアリーと死別し、1808年にマリアンヌ・ジェイムズ(-1845)と再婚し、彼女との間に以下の1男3女を儲けた[1]

  • 次男ウィリアム・フレデリック・ビング (-1877)
  • 長女ハリエット・フランシス・ビング (-1873) - チャールズ・ラムズデンと結婚
  • 次女フランセス・ビング (-1846) - ヘンリー・タフネル英語版と結婚
  • 三女キャロライン・フランセス・ビング (-1898) - 第2代準男爵サー・ウォルター・スターリングと結婚

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Strafford, Earl of (UK, 1847)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月12日閲覧。
  2. ^ "No. 13589". The London Gazette (英語). 2 November 1793. p. 974. 2014年2月2日閲覧
  3. ^ "No. 13628". The London Gazette (英語). 1 March 1794. p. 192. 2014年2月2日閲覧
  4. ^ "No. 13734". The London Gazette (英語). 23 December 1794. p. 1259. 2014年2月2日閲覧
  5. ^ a b c d e f g Heathcote 1999, p. 63.
  6. ^ "No. 15216". The London Gazette (英語). 24 December 1799. p. 1331. 2014年2月2日閲覧
  7. ^ "No. 15239". The London Gazette (英語). 15 March 1800. p. 260. 2014年2月2日閲覧
  8. ^ "No. 15726". The London Gazette (英語). 7 August 1804. p. 953. 2014年2月2日閲覧
  9. ^ "No. 16390". The London Gazette (英語). 24 July 1810. p. 1094. 2014年2月2日閲覧
  10. ^ a b c d e f g h Heathcote 1999, p. 64.
  11. ^ "No. 18141". The London Gazette (英語). 28 May 1825. p. 925. 2014年2月2日閲覧
  12. ^ a b UK Parliament. “General Sir John Byng” (英語). HANSARD 1803–2005. 2016年1月12日閲覧。
  13. ^ "No. 19066". The London Gazette (英語). 12 July 1833. p. 1347. 2014年2月2日閲覧
  14. ^ "No. 20044". The London Gazette (英語). 24 November 1841. p. 3007. 2014年2月2日閲覧
  15. ^ "No. 21792". The London Gazette (英語). 2 October 1855. p. 3652. 2014年2月2日閲覧
  16. ^ "No. 16972". The London Gazette (英語). 4 January 1815. p. 19. 2014年2月2日閲覧
  17. ^ "No. 17075". The London Gazette (英語). 31 October 1815. p. 2186. 2014年2月2日閲覧

参考文献

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  • Heathcote, Tony (1999). The British Field Marshals, 1736–1997: A Biographical Dictionary. Barnsley: Leo Cooper. ISBN 0-85052-696-5 

外部リンク

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軍職
先代
サー・ローリー・コール英語版
北部司令部司令官英語版
1816年 – 1828年
次代
サー・ヘンリー・ブーヴェリー英語版
先代
サー・ジョージ・マレー英語版
アイルランド最高司令官英語版
1828年 – 1831年
次代
初代ヴィヴィアン男爵英語版
先代
ジョージ・ヴォーン・ハート英語版
ロンドンデリー総督英語版
1832年 – 1860年
廃止
先代
サー・ジェイムズ・レイス英語版
第4西インド連隊英語版名誉連隊長
1816年 – 1819年
連隊解散
先代
サー・ヘンリー・トレンズ英語版
第2西インド連隊英語版名誉連隊長
1822年 – 1828年
次代
フランシス・フラー
先代
ゴードン・フォーブス
第29歩兵連隊英語版名誉連隊長
1828年 – 1850年
次代
第2代ダウンズ男爵英語版
先代
ケンブリッジ公
コールドストリームガーズ名誉連隊長
1850年 – 1860年
次代
初代クライド男爵
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ベンジャミン・レスター
ウィリアム・ポンソンビー英語版
プール選挙区英語版選出庶民院議員
1831年1835年
同一選挙区同時当選者
ベンジャミン・レスター 1831年 – 1835年
チャールズ・ターク英語版1835年
次代
チャールズ・ターク英語版
ジョージ・ビング英語版
イギリスの爵位
爵位創設 初代ストラフォード伯爵
(第3期)

1847年1860年
次代
ジョージ・ビング英語版
爵位創設 初代ストラフォード男爵
(繰上貴族院召集令状により生前に爵位譲る)

1835年1853年