ジョン・パーシヴァル (第4代エグモント伯爵)
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第4代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァル(英語: John Perceval, 4th Earl of Egmont、1767年8月13日 – 1835年12月31日)は、イギリスの貴族、政治家。カトリック解放と第1回選挙法改正を支持した。
生涯
[編集]第3代エグモント伯爵ジョン・ジェームズ・パーシヴァルと妻イザベラ(Isabella、旧姓ポーレット(Powlett)、1737年ごろ – 1821年9月8日、ナッソー・ポーレット卿の娘)の息子として、1767年8月13日にハイ・ハウスで生まれ、ウェスト・サーロックで洗礼を受けた[1]。
1790年イギリス総選挙で父の後援を受けてブリッジウォーター選挙区から出馬したが、87票(得票数3位)しか得られず、第4代ポーレット伯爵ジョン・ポーレットの推す候補に大差で敗れた[2]。
1822年2月25日に父が死去すると、エグモント伯爵位を継承した[1]。貴族院で1829年ローマ・カトリック信徒救済法(カトリック解放)と1832年改革法(第1回選挙法改正)に賛成票を投じ、第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ率いる内閣を支持した[1]。
1835年12月31日にエプソムで死去、1836年1月8日にチャールトンで埋葬された[1]。息子ヘンリー・フレデリック・ジョン・ジェームズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1792年3月10日、ブリジット・ウィン(Bridget Wynn、1826年1月24日没、グリン・ウィンの娘)と結婚、1男をもうけた[3]。
- ヘンリー・フレデリック・ジョン・ジェームズ(1796年1月3日 – 1841年12月23日) - 第5代エグモント伯爵
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 30–31.
- ^ Thorne, R. G. (1986). "Bridgwater". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月4日閲覧。
- ^ "Egmont, Earl of (I, 1733 - 2011)". Cracroft's Peerage (英語). 20 December 2014. 2021年1月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the 4th Earl of Egmont
アイルランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・ジェームズ・パーシヴァル |
エグモント伯爵 1822年 – 1835年 |
次代 ヘンリー・パーシヴァル |