ジョン・ダンロップ (競馬)
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ジョン・リーパー・ダンロップ | |
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基本情報 | |
国籍 | イギリス |
出身地 | イングランド、グロスタシャー |
生年月日 | 1939年7月10日 |
死没 | 2018年7月7日(78歳没) |
免許区分 | 1966年 |
引退日 | 2018年7月7日 |
経歴 | |
主な管理馬 | シャーリーハイツ |
ジョン・リーパー・ダンロップ(John Leeper Dunlop, 1939年7月10日 - 2018年7月7日)は、イギリス(イングランド)、グロスタシャー出身の競走馬の調教師。
来歴
[編集]1970年、ブラックサテン(Black Satin)でアイリッシュ1000ギニーを制し、クラシック競走初勝利を挙げる。翌1971年からグループ制が導入され、GI初勝利は1977年9月24日、ノースストーク(North Stoke)が勝ったジョーマクグラスメモリアルステークスであった。
1978年6月7日、シャーリーハイツ(Shirley Heights)でダービーステークス初勝利。これがイギリスクラシック競走初勝利でもあった。同馬は7月1日にアイリッシュダービーも制した。
1983年、ハイホーク(High Hawk)をジャパンカップに出走させ、管理馬の日本初出走を果たす。同馬は1番人気に支持されたが、13着に敗れた。1987年のジャパンカップではセントレジャーステークスなどを勝ったムーンマッドネス(Moon Madness)を出走させ、同馬は2番人気に推されたが5着に敗れた。結果的にこれが、管理馬の日本での最高着順だった[1]。
1995年、イギリス平地競走のリーディングトレーナーとなる。2002年には通算3000勝を達成した。
2人の息子、エドワードとハリーも調教師である。
2018年7月7日、死去した[2]。満78歳没。79歳の誕生日の3日前のことであった。
主な勝鞍
[編集]イギリス
[編集]- 1000ギニー(1980年Quick as Lightning、1990年Salsabil、1991年Shadayid)
- オークス(1984年Circus Plume、1990年Salsabil)
- ダービーステークス(1978年Shirley Heights、1994年Erhaab)
- セントレジャーステークス(1986年Moon Madness、1997年Silver Patriarch、2000年Millenary)
- クイーンエリザベス2世ステークス(1977年Trusted、1992年Lahib、1995年Bahri)
- コロネーションカップ(1980年Sea Chimes、1998年Silver Patriarch)
- スプリントカップ(1981年Runnett、1983年Habibti、1994年Lavinia Fontana、2002年Invincible Spirit)
- セントジェームズパレスステークス(1980年Posse、1991年Marju、1995年Bahri)
アイルランド
[編集]- アイリッシュ1000ギニー(1970年Black Satin、1994年Mehthaaf)
- アイリッシュ2000ギニー(1983年Wassl)
- アイリッシュダービー(1978年Shirley Heights、1990年Salsabil)
その他
[編集]- ヴェルメイユ賞(1990年Salsabil、1998年Leggera)
- オイロパ賞(1997年・1998年Taipan、2000年Golden Snake)
- ジョッキークラブ大賞(1992年Silvernesian、1998年Silver Patriarch、2000年Golden Snake)
- ローマ賞(1983年High Hawk、1989年Highland Chieftain、1997年・1998年Taipan)
脚注
[編集]- ^ “J.ダンロップ 調教師データ”. netkeiba.com. 2021年6月10日閲覧。
- ^ “John Dunlop, Classic-winning trainer, dies aged 78” (英語). ガーディアン. Guardian News and Media Limited or its affiliated companies. (2018年7月7日) 2018年7月8日閲覧。