ジョン・シンジョン (第2代シンジョン子爵)
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第2代シンジョン子爵ジョン・シンジョン(英語: John St John, 2nd Viscount St John、1702年5月3日 – 1748年11月)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。初代ボリングブルック子爵ヘンリー・シンジョンは異母兄。
生涯
[編集]初代シンジョン子爵ヘンリー・シンジョンと2人目の妻アンジェリカ・マグダレーナ・ペリッサリー(Angelica Magdalena Pelissary)の息子として[1]、1702年5月3日に生まれた[2]。1717年にイートン・カレッジで教育を受けた後、1720年にパリで教育を受けた[2]。
1727年イギリス総選挙でウートン・バセット選挙区から出馬して当選した後、一貫して野党の立場で投票、1734年の七年議会法廃止でのみ政府を支持した[2]。1734年イギリス総選挙では立候補しなかったが、1737年には王太子フレデリック・ルイスを支持した[2]。
1742年4月に父が死去すると、シンジョン子爵の爵位を継承した[1]。
1748年11月[2]/1749年2月[1]に死去、長男フレデリックが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1729年4月17日、アン・ファーニーズ(1747年7月11日没、第2代準男爵ロバート・ファーニーズの娘)と結婚、3男1女をもうけた[1]。
- フレデリック(1732年 – 1787年) - 第3代シンジョン子爵、第2代ボリングブルック子爵
- ヘンリー(1738年 – 1818年) - 陸軍軍人、庶民院議員
- ルイーサ(1820年2月4日没) - 1760年8月20日、初代バゴット男爵ウィリアム・バゴットと結婚
- ジョン(1746年頃 – 1793年) - 庶民院議員、生涯未婚
1748年6月19日、ヘスター・クラーク(Hester Clarke、1752年3月8日没、ジェームズ・クラークの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 218.
- ^ a b c d e Lea, R. S (1970). "ST. JOHN, Hon. John (1702-48), of Lydiard Tregoze, Wilts". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月25日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ロバート・マレー ウィリアム・チェットウィンド |
庶民院議員(ウートン・バセット選挙区選出) 1727年 – 1734年 同職:ジョン・クロス |
次代 サー・ロバート・ロング準男爵 ニコラス・ロビンソン |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ヘンリー・シンジョン |
シンジョン子爵 1742年 – 1748年 |
次代 フレデリック・シンジョン |