ジョン・グッドリック
John Goodricke ジョン・グッドリック | |
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ジョン・グッドリックの肖像 | |
生誕 |
1764年9月17日 オランダ フローニンゲン |
死没 | 1786年4月20日(21歳没) |
死因 | 肺炎 |
墓地 | イギリス ノース・ヨークシャー州ハンシンゴア |
著名な実績 | アルゴルの変光に関する研究 |
受賞 | コプリ・メダル(1783年) |
栄誉 | 王立協会会員 |
ジョン・グッドリック(John Goodricke, 1764年9月17日 - 1786年4月20日)[1]は、オランダ出身のアマチュア天文学者である。オランダのフローニンゲンに生まれたが、一生の大部分をイギリスで過ごした。
生涯
[編集]変光星アルゴル(Algol:ペルセウス座β星)を観測したことで知られる[2]。当時、すでにいくつかの変光星は知られていたが、グッドリックは今日、食変光星として知られる変光のメカニズムを提案した。1783年に王立協会で研究成果を発表したのを受けて協会はコプリ・メダルを授与した。1786年4月16日には王立協会会員に選出されたが[3]、グッドリックはそのわずか4日後の4月20日に肺炎により21歳で他界し、自らが選出されたことを知ることなくこの世を去った[2]。ノース・ヨークシャーのハンシンゴアの教会に祖父母、両親、兄弟らとともに埋葬されたが、現在その埋葬場所には"The Goodricke Vault"と刻まれた石碑のみが残されている[4]。
グッドリックは子供の時の猩紅熱が原因で聴覚を失い、そのため両親と別れてエジンバラの聾学校で学んだ後、1778年にウォーリントン・アカデミーで学んだ。卒業後ヨークの両親の元に戻った。個人で天文台を建てたナサニエル・ピゴットの息子のエドワード・ピゴットと親しくなった。エドワード・ピゴットは変光星を研究しており、グッドリックは観測すべき変光星のリストをエドワードから受け取った。グッドリックはこと座β星やケフェウス座δ星が変光星であることも発見している[2]。
ヨーク大学のグッドリック・カレッジ[5]や、小惑星(3116)のグッドリック[6]は、彼の名前に因んでいる。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ French, Linda M.. “Nathaniel and Edward Pigott, Itinerant Astronomers' in NR”. The Journal of American Association of Variable Star Observers .
- ^ a b c Jens Dengler (2003年8月6日). “John Goodricke, The Discovery of the Occultating Variable Stars”. 2016年12月18日閲覧。
- ^ "Goodricke; John (1764 - 1786)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
- ^ “John Goodricke”. 2016年12月19日閲覧。
- ^ “College history”. University of York. 2016年12月19日閲覧。
- ^ “(3116) Goodricke”. 小惑星センター. 2016年12月19日閲覧。