ジョン・キャリー・ホール
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ジョン・キャリー・ホール(John Carey Hall、1844年1月22日 - 1921年10月21日)は、幕末に来日したイギリスの外交官である[1]。
経歴・人物
[編集]北アイルランドに生まれ[1]、クイーンズ大学ベルファストに入学する[1]。卒業直後の1867年(慶応3年)に江戸幕府からの招聘により来日し[1]、横浜に所在するイギリス公使館(現在駐日英国大使館)に勤める[1]。
来日後は当時公使を務めていたハリー・パークスの指導のもと、同公使館に勤める職員の通訳の見習いとして活動した[1]。明治維新後のには横浜イギリス総領事館と名称変更し、1903年(明治36年)にはその総領事を務める[1]。1914年(大正3年)に任期満了により帰国するが[1]、帰国後も日本アジア協会のイギリス代表の会長を務め[1]、日英関係の親善に貢献した[1]。