ジョン・オブ・スコットランド (ハンティンドン伯)
ジョン・オブ・スコットランド John of Scotland | |
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第9代ハンティンドン伯 第7代チェスター伯 | |
在位 |
ハンティンドン伯:1219年 - 1237年 チェスター伯:1232年 - 1237年 |
出生 |
1207年ごろ |
死去 |
1237年6月6日 |
配偶者 | エレン・ヴェルフ・サウェリン |
家名 | アサル家 |
父親 | ハンティンドン伯デイヴィッド・オブ・スコットランド |
母親 | マティルダ・オブ・チェスター |
第9代ハンティンドン伯および第7代チェスター伯ジョン・オブ・スコットランド(John of Scotland, Earl of Huntingdon, 1207年ごろ - 1237年6月6日)は、ハンティンドン伯デイヴィッド・オブ・スコットランドとマティルダ・オブ・チェスターの息子。
生涯
[編集]ジョンは1222年ごろ、ウェールズのグウィネズ王サウェリン・アプ・ヨーワース(大サウェリン)の娘エレン・ヴェルフ・サウェリンと結婚した。
1219年、父ディヴィッドの死によりハンティンドン伯となった。
母方の叔父チェスター伯ラヌルフ・ド・ブロンドヴィルが1232年10月26日に死去すると、チェスター伯位はジョンの母マティルダ(モード)・オブ・チェスター(ラヌルフの長姉)に継承された。それから1か月も経たないうちに、母マティルダは国王の同意を得て、伯位を息子のジョンに生前贈与し、ジョンは母親の権利によりチェスター伯となり[1]、ヘンリー3世によって1232年11月21日に正式にチェスター伯に叙せられた[2]。その6週間後の1233年1月に母マティルダが死去すると、自身の権利によりチェスター伯となった。
ジョンは1237年6月6日、30歳で子供を残さずに亡くなった。ジョンもまた、叔父のラナルフと同様に3人の姉妹を共同相続人として残した。姉妹らは財産を分け合うことに同意し、長女クリスチャンの夫ウィリアム・ド・フォルツを妻の権利によりチェスター伯およびハンティンドン伯にすることにした。しかしヘンリー3世は「これほどすばらしい領土が女性の間で分割されることのないよう」伯領を王室に併合することを決定した[2]。1246年、ヘンリーはジョンの4人の姉妹からチェスター領を購入した。チェスター伯位は1264年にシモン・ド・モンフォールに、ハンティンドン伯位は1337年にウィリアム・ド・クリントンにそれぞれ与えられた。
参考文献
[編集]- ^ Burke, John, A general and heraldic dictionary of the peerages of England, Ireland, and Scotland
- ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 6 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 107.
イングランドの爵位 | ||
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先代 デイヴィッド・オブ・スコットランド |
ハンティンドン伯 1219年 - 1237年 |
空位 (王領) 次代の在位者 ウィリアム・ド・クリントン
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先代 マティルダ・オブ・チェスター |
チェスター伯 1232年 - 1237年 |
空位 (王領) 次代の在位者 シモン・ド・モンフォール
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