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ジョン・アンドレッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・アンドリュー・アンドレッティ
John andrew andretti
生誕 (1963-03-12) 1963年3月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州ベスレヘム
死没 (2020-01-30) 2020年1月30日(56歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ノースカロライナ州ムーアズビル
死因大腸癌
業績インディアナポリスとシャーロットのダブルデューティに出場した最初のドライバー
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズでの経歴
17年の間393レース出場
最高位11th (1998)
初戦1993 Tyson/Holly Farms 400 (North Wilkesboro)
最終戦2010 Daytona 500 (Daytona)
初勝利1997 Pepsi 400 (Daytona)
最終勝利1999 Goody's Body Pain 500 (Martinsville)
優勝数 10位以内 PP
2 37 4
NASCARエクスフィニティ・シリーズでの経歴
3年の間37レース出場
最高位12th (2006)
初戦1998 Goody's 300 (Daytona)
最終戦2007 Orbitz 300 (Daytona)
優勝数 10位以内 PP
0 4 0
NASCARガンダー・アウトドアーズ・トラック・シリーズでの経歴
2年の間6レース出場
最高位46th (2005)
初戦2005 O'Reilly Auto Parts 250 (Kansas)
最終戦2008 Mountain Dew 250 Fueled by Winn-Dixie (Talladega)
優勝数 10位以内 PP
0 3 0
インディカー・シリーズでの経歴
5年の間10レース出場
2011年の順位42nd
最高位30th (2008)
初戦2007 2007年のインディ500 (Indy)
最終戦2011 2011年のインディ500 (Indy)
優勝数 表彰台 PP
0 0 0
チャンプカーでの経歴
8年の間73レース出場
活動年1987–1994
最高位8th (1991, 1992)
初戦1987 Road America 200 (Elkhart Lake)
最終戦1994 Indianapolis 500 (Indy)
初勝利1991 Gold Coast Indy Car Grand Prix (Surfers Paradise)
優勝数 表彰台 PP
1 2 0
2012年5月26日更新

ジョン・アンドリュー・アンドレッティ(John andrew andretti、1963年3月12日 - 2020年1月30日)はアメリカ合衆国レーシングドライバー

キャリアの中で、チャンプカー・ワールド・シリーズ(CART)、IMSA GTPロレックス・スポーツカー・シリーズNASCARなど様々なカテゴリーのレースで活躍した。

父のアルド・アンドレッティ、弟のアダム・アンドレッティはともにレーサー。また、叔父にマリオ・アンドレッティがおり、インディカーチャンピオンのマイケル・アンドレッティジェフ・アンドレッティはいとこである。

レースキャリア初期

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ジョン・アンドレッティは、1963年3月12日にペンシルベニア州ベツレヘムで「コーキー」とアルド・アンドレッティの元に生まれた。有名なアンドレッティレーシングファミリーの一員として、彼もまたレーシングキャリアを歩み始めた。幼い頃のカートから始まり、ジュニアストックカーとUSACミジェットを卒業した[1]

アンドレッティはモラヴィアン大学[2]を経営学の学位で卒業、レースを始めていなかったら投資銀行家か株式仲買人になっていただろうと述べている[3]。彼は1984年にスポーツカーレースにデビューし、1986年にBMWノースアメリカチームから、IMSA GTPにシーズンフル参戦。デイビー・ジョーンズと組んで、ワトキンス・グレンで優勝を飾る事が出来た。1988のル・マン24時間レースでは、マリオマイケルのアンドレッティー一族でポルシェワークスチームからポルシェ・962Cで参戦。総合6位に入った[1]

CART

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アンドレッティは1987年にPPGインディカーワールドシリーズ(後のCART)に参戦し、ルーキーオブザイヤーを受賞した。1988年のインディアナポリス・モーター・スピードウェイでのデビュー戦では、マシントラブルにより21位に順位を下げるまで7位を走行していた。1991年、彼はCARTキャリアの唯一の勝利をオーストラリアサーファーズパラダイスでのゴールドコーストグランプリで挙げたほか、インディアナポリス500ではキャリアベストの5位を獲得している。1994年、NASCARに軸足を移す形でインディ500への参戦を一時終了する。

IMSA GTPとロレックススポーツカーシリーズ

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1986年のIMSA GT選手権にデビューしたジョンは、デイビー・ジョーンズとともにBMW・GTPをドライブ。BMWのIMSAでの成功は限られたものだったが、アンドレッティとジョーンズは9月21日のワトキンズ・グレン・インターナショナルでのレースで優勝した[4]

1989年は、ボブ・ウォレクデレック・ベルとコンビを組み、ミラーハイライフ/BFグッドリッチ・バスビー・レーシングで、ポルシェ・962デイトナ24時間レースに出場し総合優勝を果たした。BFグッドリッチとしても総合優勝は初。その後のIMSAシーズンで、アンドレッティとウォレクは引き続きポルシェ・962をドライブし、ウェストパームビーチ・ストリートコースで優勝した[5]。アンドレッティは、その年のシーズンでポルシェドライバー中の最多ポイント(112)を獲得、総合5位でシーズンを終えた[6]

2001年のグランダム・シリーズで、カイル・ペティーとのペアで、第9戦ワトキンスグレンでGTクラス優勝をしている。

2008年のデイトナ24時間レースに復帰し、ビジョン・レーシングのクロフォードDP ポルシェをドライブ[7]。チームメイトはエド・カーペンター、A.J.フォイト4世、ヴィトール・メイラ。チームは総合25位でフィニッシュした。

NASCAR

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1997年

アンドレッティは1993年にNASCARウィンストンカップ(現・NASCARカップ・シリーズ)デビューを果たした。デビュー戦のノースウィルクスボロスピードウェイでは、テックス・パウエルのチームのNo.72テックス・レーシングシボレーをドライブし、31位でスタートし、24位で完走した。 1993年に3レースを走った後、1994年から本格参戦を開始し、ホーガンレーシングのファイナンシャルワールドがスポンサーとなったシボレーを運転した。5月29日、彼は同じ日に行われるインディアナポリス500コカ・コーラ600の両方に出走した史上初のドライバーになった。彼はマシントラブルに見舞われたものの、インディを10位、コカ・コーラ600を36位で完走した。シーズン後半戦はペティエンタープライズに移籍し、STPがスポンサードするポンティアックに車両変更する。この年の最上位フィニッシュは、リッチモンド・インターナショナル・レースウェイでの11位だった。彼はシーズンをランキング32位、ルーキーオブザイヤー争いを5位で終えた。

1998年6月にポコノで開催されたペティエンタープライズNo.43ポンティアックのアンドレッティ

1995年はKマート/リトルシーザーズがスポンサーについたクラネフス-ハースの37号車フォード・サンダーバードをドライブ。サザン500でキャリア最初のポールを獲得し、トップ10フィニッシュを5回記録し、シーズンを18位で終えた。1996年シーズン途中ではRCAフォードがスポンサードするケール・ヤーボローの98号車に乗り換え(98号車のドライバーだったジェレミー・メイフィールドが、入れ代わりでクラネフスのチームに移籍)。ヘインズ500での5位をはじめ、シーズン中3回のトップ10フィニッシュを果たした。 1997年はペプシ400でキャリア初勝利を獲得し、ランキング23位。1998年はペティ・エンタープライズの43号車に戻り、勝利こそ無かったもののトップ10フィニッシュを10回記録し、キャリアベストのランキング11位を獲得した。1999年にはマーティンズビル・スピードウェイで残り4ラップでの逆転でキャリア2勝目を挙げたほか、フェニックス・インターナショナル・レースウェイではポールを獲得した。

2000〜2005

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2000年シーズンの途中で、チェリオスがアンドレッティのメインスポンサーとなった。これは、ペティ・エンタープライズがメーカーをダッジに切り替える前兆でもあり、チームが今シーズンはポンティアックでレースしつつ、将来に向けてダッジの準備も並行で行うという二重体制となったため、チームの状況は悪化し始めた。この年はトップ10フィニッシュを2回記録したものの、ランキングは23位に落ちた。2001〜2002年は、アンドレッティはエリオット・サドラーに次ぐ2位でフィニッシュしたブリストルを含め3回のトップ10フィニッシュを記録(これはペティエンタープライズとウッドブラザーズレーシングにとって最後の1-2フィニッシュとなった)。 2003年シーズンはハースCNCレーシングリチャードチルドレスレーシングからいくつかのレースを走った後、後半戦はペンゾイルがスポンサーとなったデイルアーンハートインクの1号車シボレーをドライブ。最高位はカリフォルニアの8位だった。

2004年シーズンはレギュラーシートが得られず、デイトナに1号車でスポット参戦した後、シーズンの途中からビクトリーブランドがスポンサーとなったppcレーシングの14号車フォードトーラスで参戦。シャーロットモータースピードウェイで22位でフィニッシュした。2005年は引き続きppcと契約したものの、資金不足のためチームは解散を余儀なくされてしまう。シートを失った彼はビリーバリューモータースポーツからクラフツマントラックシリーズに4戦ドライブし、メンフィスモータースポーツパークでは8位でフィニッシュした。彼はまた、ルーカスオイルがスポンサードするモーガン・マクルアモータースポーツの4号車シボレーで数戦カップレースに復帰し、ミシガンインターナショナルスピードウェイでは1ラップダウンの28位でフィニッシュした。

2006年はppcに戻り、ブッシュシリーズの10号車をドライブ。それまでジョンはブッシュシリーズにほとんど(1998年のデイトナで、カーブアガジャニアンパフォーマンスグループの96号車シボレーで13位フィニッシュしている)参戦していなかったことから、カップ戦に300戦以上参戦し、2勝を挙げているベテランにもかかわらずルーキーオブザイヤーの候補となるも、結局、ダニー・オクィンへの次点となる。

デイトナでの2008年のスプリントカップカー

2007年のデイトナでは、ppcレーシングとの提携したブラウンレーシングの FreedomRoads / Camping World / RVs.comがスポンサードする10号車をドライブするも、チームへの資金提供が疑わしいものになったためアンドレッティはブラウンレーシングを離脱。チームは2台体制を維持するために2007年中にさまざまなドライバーを起用することとなる。離脱後のアンドレッティはターナーネットワークテレビジョンのレース放送などに関わりつつ、ペティ・エンタープライズから45号車で4戦に参加、そのほか、フロントロウモータースポーツやBAMレーシングからも数戦スポット参戦した。

2008年はフロントロウモータースポーツに移籍し、スプリントカップシリーズの34号車シボレーインパラSSをドライブしてデイトナ500に参戦した。その後、最初の10レースに参戦した後、インディカーチームに集中するためにチームを離脱した。

2009年は、フロントロウとアーンハートガナッシレーシングのパートナーシップにより、ウィンドウワールド、 myAutoloan.com 、およびタコベルのスポンサードする34号車でフル参戦。2010年以降はにフルタイムで走ることは無かったものの、NASCARでの最後のレースであるデイトナ500ではフロントロウモータースポーツの34号車をドライブし、117周目のアクシデントを乗り越えて38位でフィニッシュした。

IRLインディカーシリーズ

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2008年のインディアナポリス500でロスレーシングの24号車をドライブ

2007年、アンドレッティは1994年にダブル(同じ日にインディ500コカ・コーラ600に出場すること)を達成して以来のインディアナポリス500に戻った。彼はキャンピング・ワールドがスポンサードするパンサー・レーシングの3台目をドライブし、4周の予選走行の平均速度は221.756マイル毎時 (356.882 km/h)を記録。5月19日、彼は第91回インディアナポリス500決勝に8列目24位からスタートしたが、95周目にクラッシュして30位でレースを終えた。

2008年のインディ500はジェイ・ハワードと交代するかたちでロスレーシングNo.24ダラーラホンダで参戦し、予選では4周平均221.550マイル毎時 (356.550 km/h)を記録し21位グリッドを獲得。9回目の挑戦となる5月17日のインディ500決勝では、16位でフィニッシュした。その後、アンドレッティはミルウォーキー・マイルテキサス・モーター・スピードウェイにも引き続き同チームから参戦し、6月6日に彼は残りシーズン全戦の契約を提示されたが、受け入れずに離脱した[8]

アンドレッティのロスレーシングとの走行は、チームにいくつかの注目すべき結果をもたらした。彼はテキサス・モーター・スピードウェイレースで予選7位を獲得し、素晴らしいスタートを切ったものの16位でフィニッシュした。アイオワ・スピードウェイで23位からスタートし、着実に順位を上げて、ロスレーシングとしては最高位となる11位フィニッシュを達成した。その翌週のリッチモンド・インターナショナル・レースウェイではクラッシュでノックアウトされ、これがロスレーシングでの最後の参戦となった。ジョンが離脱後のロスレーシングは残りシーズンを1台体制で戦い、その後活動を停止した。最終的にアンドレッティは2008年のインディカーポイントランキングで30位となった。

2009年4月、アンドレッティとリチャード・ペティは、ドレイヤー&レインボールド・レーシングとの合弁事業を発表。これにより、アンドレッティは第93回インディアナポリス500で43号車をドライブすることになった。過去のインディ500とは異なり、この年のアンドレッティはインディ/シャーロットダブルを実行せず、加えてインディ500の準備のためにサザン500とコカコーラ600を回避した。アンドレッティは28日のバンプデーを経て、最終的にリードラップ最後尾の19位でフィニッシュした。アンドレッティはインディアナポリス500の後、6月のドーバー400からフロントロウモータースポーツで34号車をドライブしてNASCARに戻った。

2010年3月31日、アンドレッティは2つのイベントでリチャードペティ及びウィンドウワールドと協力すると発表。 No. 43は、ジョンのいとこであるマイケルが所有するアンドレッティ・オートスポーツが支援するエントリーとして戻ってきた。チームの最初のレースとなった、5月1日にカンザススピードウェイで開催されたRoadRunner Turbo Indy300では、アンドレッティは15位で予選を通過したが、1ラップダウンの9位でフィニッシュした。5月30日の第94回インディアナポリス500では、ポールデーで予選に失敗した後、2年連続で参加したバンプデーを28位で通過。決勝では65周目にクラッシュし、30位でレースを終えた。

アンドレッティは、ウィンドウワールド、ペティ、アンドレッティオートスポーツと提携して100周年を迎えた2011年のインディ500にも出場し、22位でフィニッシュした。

私生活

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2007年のインディ500にて。左は叔父のマリオ

ジョンは中央インディアナコミュニティで活躍。毎年ブリックヤード400週間の間、彼は93.1 WIBC、デイブ「ザキング」ウィルソン、ゼネラル・ミルズと協力してライリーレースを開催し、ジェームズウィットコムライリーホスピタルフォーチルドレンに恩恵をもたらした。

2007年からはシリウスサテライトラジオのNASCARチャンネル90でジョン・カーナンと「ザ・ドライバーズ・シート」の共同司会者を務めた。

ジョンの息子であるジャレットは、 アメリカ合衆国自動車クラブ(USAC)スプリントカーのドライバーであり、後にGT4アメリカシリーズのドライバーとなっている[9]

2017年4月、アンドレッティはステージ4の大腸がんを患っていることを公表した[10]。もともとステージIII-Aの癌と誤診されていた彼の癌の戦いは広く公表され、彼は#CheckIt4Andrettiと呼ばれるTwitterハッシュタグを開始し、大腸内視鏡検査を受けることを促進した。数ヶ月の化学療法の後、アンドレッティは2017年後半に一度は完治したと見なされていた。しかし2018年5月に癌が再発し、さらに転移していた。彼は再度化学療法での治癒を目指していたが、2019年3月下旬に癌が再び再発。

2020年1月30日に大腸癌により死去。享年56[11]

モータースポーツのキャリア結果

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アメリカンオープンホイール

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(キー)(太字レース磁極位置を示します)

PPGインディカーシリーズ

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Year Team Chassis Engine 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 Rank Pts
1987 Curb Racing March 87C Ford Cosworth DFX LBH PHX INDY MIL POR MEA CLE TOR MCH POC ROA
6
MDO
10
NAZ
11
LAG
7
MIA
8
17th 24
1988 Lola T88/00 PHX
14
LBH
20
INDY
21
MIL
18
POR
17
CLE
8
TOR
22
MEA
25
MCH
24
POC
14
MDO ROA NAZ
16
LAG MIA 31st 5
1989 Granatelli Racing Lola T88/00 Buick 3300 V6t PHX LBH INDY
25
MIL DET POR CLE MEA TOR
25
MCH
24
POC
17
MDO ROA NAZ
19
LAG
12
33rd 1
1990 Porsche Motorsports March 90P Porsche Indy V8 PHX
17
LBH
21
INDY
21
MIL
7
DET
22
POR
21
CLE
5
MEA
7
TOR
13
MCH
7
DEN
6
VAN
5
MDO
13
ROA
22
NAZ
19
LAG
8
10th 51
1991 Hall/VDS Racing Lola T91/00 Chevrolet 265A SRF
1
LBH
18
PHX
11
INDY
5
MIL
2
DET
6
POR
19
CLE
15
MEA
4
TOR
5
MCH
6
DEN
7
VAN
7
MDO
10
ROA
19
NAZ
9
LAG
19
8th 105
1992 Lola T92/00 SRF
6
PHX
6
LBH
20
INDY
8
DET
21
POR
5
MIL
9
NHA
5
TOR
5
MCH
6
CLE
12
ROA
6
VAN
15
MDO
4
NAZ
18
LAG
5
8th 94
1993 A.J. Foyt Enterprises Lola T92/00 Ford XB SRF PHX LBH INDY
10
MIL DET POR CLE TOR MCH NHA ROA VAN MDO NAZ LAG 28th 3
1994 Lola T94/00 SRF PHX LBH INDY
10
MIL DET POR CLE TOR MCH MDO NHA VAN ROA NAZ LAG 29th 3

インディカーシリーズ

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Year Team Chassis Engine 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 Rank Pts
2007 Panther Racing Dallara
IR-05
Honda HMS STP MOT KAN INDY
30
MIL TXS IOW RIR WGL NSH MDO MCH KTY SNM DET CHI 35th 10
2008 Roth Racing HMS STP MOT1 LBH1 KAN INDY
16
MIL
19
TXS
16
IOW
11
RIR
21
WGL NSH MDO EDM KTY SNM DET CHI SRF2 30th 71
2009 Dreyer & Reinbold Racing STP LBH KAN INDY
19
MIL TXS IOW RIR WGL TOR EDM KTY MDO SNM CHI MOT HMS 37th 12
2010 Andretti Autosport SAO STP ALA LBH KAN
9
INDY
30
TXS IOW WGL TOR EDM MDO SNM CHI KTY MOT HMS 32nd 35
2011 STP ALA LBH SAO INDY
22
TXS TXS MIL IOW TOR EDM MDO NWH SNM BAL MOT KTY LVS3
C
42nd 16
1同じ日に実行します。
2ポイントを支払わない展示レース。
3ラスベガスインディ300は、11周目に15台の自動車事故で負傷したダン・ウェルドンが死亡した後、放棄。

インディアナポリス500の結果

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シャーシ エンジン グリッド 決勝順位 チーム
1988年 ローラT88/00 フォードコスワースDFX 27 21 カーブレーシング
1989年 ローラT88/00 ビュイック 12 25 グラナテッリレーシング
1990年 マーチ90P ポルシェモータースポーツ 10 21 ポルシェ
1991年 ローラT91/00 シボレー265A 7 5 ホール/ VDSレーシング
1992年 ローラT92/00 シボレー265A 14 8 ホール/ VDSレーシング
1993年 ローラT92/00 フォードXB 24 10 AJフォイトエンタープライズ
1994年 ローラT94/00 フォードXB 10 10 AJフォイトエンタープライズ
2007年 ダラーラ ホンダ 24 30 パンサーレーシング
2008年 ダラーラ ホンダ 21 16 ロスレーシング
2009年 ダラーラ ホンダ 28 19 リチャードペティ/ DRR
2010年 ダラーラ ホンダ 28 30 リチャードペティ/アンドレッティオートスポーツ
2011年 ダラーラ ホンダ 17 22 リチャードペティ/アンドレッティオートスポーツ

ナスカー

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スプリントカップシリーズ

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NASCAR Sprint Cup Series results
Year Team No. Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 NSCC Pts
1993 Tex Racing 72 Chevy DAY CAR RCH ATL DAR BRI NWS MAR TAL SON CLT DOV POC MCH DAY NHA POC TAL GLN MCH BRI DAR RCH DOV MAR NWS
24
CLT
31
CAR
39
PHO
40
ATL
DNQ
50th 250
1994 Hagan Racing 14 Chevy DAY
42
CAR
24
RCH
30
ATL
42
DAR
38
BRI
DNQ
NWS
31
MAR
35
TAL
29
SON
19
CLT
36
DOV
22
POC
35
MCH
36
DAY
35
NHA
27
POC
25
TAL
40
IND
28
GLN 32nd 2299
Petty Enterprises 43 Pontiac MCH
17
BRI
30
DAR
16
RCH
11
DOV
25
MAR
21
NWS
17
CLT
24
CAR
25
PHO
43
ATL
13
1995 Kranefuss-Haas Racing 37 Ford DAY
27
CAR
13
RCH
10
ATL
20
DAR
10
BRI
19
NWS
17
MAR
32
TAL
41
SON
11
CLT
17
DOV
39
POC
30
MCH
4
DAY
33
NHA
33
POC
38
TAL
34
IND
12
GLN
7
MCH
37
BRI
19
DAR
12
RCH
7
DOV
39
MAR
13
NWS
17
CLT
13
CAR
25
PHO
15
ATL
15
18th 3140
1996 DAY
38
CAR
38
RCH
12
ATL
21
DAR
40
BRI
DNQ
NWS
34
MAR
36
TAL
9
SON
11
CLT
27
DOV
33
POC
16
MCH
24
DAY
23
NHA
40
POC
23
TAL
39
IND
19
GLN
26
MCH
31
BRI
38
DAR
5
31st 2621
Cale Yarborough Motorsports 98 Ford RCH
36
DOV
14
MAR
5
NWS
24
CLT
39
CAR
26
PHO
19
ATL
24
1997 DAY
25
CAR
34
RCH
31
ATL
15
DAR
25
TEX
12
BRI
24
MAR
28
SON
30
TAL
4
CLT
30
DOV
29
POC
40
MCH
37
CAL
21
DAY
1*
NHA
14
POC
24
IND
17
GLN
20
MCH
35
BRI
11
DAR
37
RCH
22
NHA
17
DOV
15
MAR
29
CLT
32
TAL
3
CAR
31
PHO
39
ATL
22
23rd 3019
1998 Petty Enterprises 43 Pontiac DAY
18
CAR
13
LVS
41
ATL
20
DAR
13
BRI
19
TEX
42
MAR
18
TAL
33
CAL
31
CLT
7
DOV
12
RCH
22
MCH
20
POC
13
SON
3
NHA
6
POC
12
IND
7
GLN
8
MCH
9
BRI
38
NHA
3
DAR
14
RCH
5
DOV
9
MAR
37
CLT
12
TAL
21
DAY
14
PHO
6
CAR
34
ATL
32
11th 3682
1999 DAY
43
CAR
19
LVS
12
ATL
28
DAR
9
TEX
38
BRI
4
MAR
1
TAL
9
CAL
17
RCH
39
CLT
19
DOV
13
MCH
8
POC
28
SON
3
DAY
19
NHA
18
POC
42
IND
37
GLN
29
MCH
10
BRI
40
DAR
18
RCH
9
NHA
41
DOV
41
MAR
43
CLT
17
TAL
32
CAR
7
PHO
8
HOM
16
ATL
33
17th 3394
2000 DAY
22
CAR
12
LVS
25
ATL
18
DAR
20
BRI
33
TEX
32
MAR
14
TAL
11
CAL
25
RCH
18
CLT
31
DOV
13
MCH
9
POC
21
SON
43
DAY
14
NHA
40
POC
41
IND
42
GLN
37
MCH
27
BRI
20
DAR
37
RCH
11
NHA
7
DOV
22
MAR
13
CLT
18
TAL
20
CAR
23
PHO
28
HOM
37
ATL
19
23rd 3169
2001 Dodge DAY
39
CAR
21
LVS
37
ATL
14
DAR
6
BRI
2
TEX
31
MAR
35
TAL
37
CAL
26
RCH
34
CLT
DNQ
DOV
19
MCH
37
POC
39
SON
30
DAY
22
CHI
23
NHA
23
POC
27
IND
14
GLN
14
MCH
26
BRI
21
DAR
21
RCH
30
DOV
19
KAN
39
CLT
26
MAR
33
TAL
34
PHO
39
CAR
29
HOM
22
ATL
25
NHA
36
31st 2943
2002 DAY
37
CAR
15
LVS
36
ATL
36
DAR
22
BRI
34
TEX
22
MAR
42
TAL
38
CAL
24
RCH
20
CLT
15
DOV
32
POC
31
MCH
23
SON
10
DAY
24
CHI
22
NHA
25
POC
23
IND
26
GLN
11
MCH
20
BRI
19
DAR
42
RCH
29
NHA
22
DOV
29
KAN
14
TAL
18
CLT
23
MAR
13
ATL
43
CAR
18
PHO
14
HOM
39
28th 3161
2003 DAY
34
CAR
39
LVS
18
ATL
29
DAR
38
BRI
31
TEX
19
TAL
14
MAR
30
CAL
8
RCH
30
CLT
39
DOV
34
POC
23
MCH SON DAY CHI 38th 2379
Haas CNC Racing 0 Pontiac NHA
41
POC
33
GLN
19
MCH BRI DAR
Dale Earnhardt, Inc. 81 Chevy IND
43
1 RCH
14
NHA
12
DOV
34
KAN
19
CLT
30
MAR
31
ATL
22
PHO
16
CAR
30
HOM
42
Richard Childress Racing 90 Chevy TAL
15
2004 Dale Earnhardt, Inc. 1 Chevy DAY
13
CAR
29
LVS ATL DAR BRI TEX MAR TAL CAL RCH CLT
19
DOV POC MCH SON DAY
43
CHI
16
NHA 45th 818
8 POC
RL
IND GLN MCH BRI CAL RCH NHA DOV TAL KAN
Ppc Racing 14 Ford CLT
22
MAR ATL
25
PHO
31
DAR
DNQ
HOM
20
2005 DAY
31
CAL
29
LVS
28
ATL
DNQ
BRI MAR TEX PHO TAL DAR RCH CLT DOV POC MCH SON DAY CHI NHA POC IND GLN 55th 304
Morgan-McClure Motorsports 4 Chevy MCH
28
BRI CAL
DNQ
RCH NHA DOV TAL KAN CLT MAR ATL TEX PHO HOM
2007 Front Row Motorsports 37 Dodge DAY CAL
34
LVS
DNQ
ATL
DNQ
BRI MAR TEX
DNQ
PHO
DNQ
TAL
DNQ
RCH DAR CLT DOV POC 48th 932
Petty Enterprises 45 Dodge MCH
27
SON NHA
42
DAY
28
CHI
18
IND POC GLN
BAM Racing 49 Dodge MCH
37
BRI
40
CAL
37
RCH
37
NHA
DNQ
DOV
37
KAN
33
TAL
33
CLT
42
MAR
33
ATL
28
TEX
DNQ
PHO
DNQ
HOM
DNQ
2008 Front Row Motorsports 34 Chevy DAY
40
CAL
35
LVS
DNQ
ATL
DNQ
BRI
DNQ
MAR
DNQ
TEX
40
PHO
DNQ
TAL
DNQ
RCH
DNQ
DAR CLT DOV POC MCH SON NHA DAY CHI IND POC GLN MCH BRI CAL RCH NHA DOV KAN TAL CLT MAR ATL TEX PHO HOM 62nd 149
2009 DAY
19
CAL
31
LVS
28
ATL
29
BRI
34
MAR
35
TEX
26
PHO
38
TAL
27
RCH
32
DAR CLT DOV
34
POC
35
MCH
33
SON
30
NHA
16
DAY
27
CHI
30
IND
32
POC
30
GLN
30
MCH
28
BRI
30
ATL
31
RCH
29
NHA
26
DOV
27
KAN
33
CAL
19
CLT
36
MAR
26
TAL
23
TEX
24
PHO
34
HOM
33
36th 2597
2010 Ford DAY
38
CAL LVS ATL BRI MAR PHO TEX TAL RCH DAR DOV CLT POC MCH SON NHA DAY CHI IND POC GLN MCH BRI ATL RCH NHA DOV KAN CAL CLT MAR TAL TEX PHO HOM 71st 49
- Relieved Dale Earnhardt Jr. during race
デイトナ500
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チーム メーカー 開始 終了
1994年 ハーガンレーシング シボレー 15 42
1995年 Kranefuss-ハースレーシング フォード 38 27
1996年 6 38
1997年 ケイルヤーボローモータースポーツ フォード 32 25
1998年 ペティエンタープライズ ポンティアック 17 18
1999年 36 43
2000年 30 22
2001年 ダッジ 26 39
2002年 16 37
2003年 12 34
2004年 デイルアーンハート社 シボレー 29 13
2005年 Ppcレーシング フォード 42 31
2008年 フロントロウモータースポーツ シボレー 22 40
2009年 37 19
2010年 フォード 33 38

参考文献

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外部リンク

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