コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョナサン・スペンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jonathan D. Spence
ジョナサン・スペンス
生誕 (1936-08-11) 1936年8月11日(88歳)
イングランドの旗 イングランド サリー[1]
死没 (2021-12-25) 2021年12月25日(85歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コネチカット州ウェストヘイブン
市民権 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 中国史
研究機関 イェール大学
教育 ケンブリッジ大学クレア・カレッジ (MA)
イェール大学 (PhD)
博士課程
指導教員
メアリー・C・ライト英語版
他の指導教員 房兆楹中国語版[2]
博士課程
指導学生
シャーマン・コクラン英語版
パミラ・カイル・クロスリー英語版
ロバート・オクスナム
ケネス・ポメランツ
ジョアンナ・ウェイリー・コーエン英語版[3]
配偶者 金安平英語版中国語版
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ジョナサン・スペンス
各種表記
繁体字 史 景遷
簡体字 史 景迁
拼音 Shǐ Jǐngqiān
和名表記: し けいせん
英語名 Jonathan Spence
テンプレートを表示

ジョナサン・ダーモット・スペンス(Jonathan Dermot Spence、1936年8月11日 - 2021年12月25日[4])は、イギリス出身のアメリカ合衆国中国史学者である。

1993年から2008年までイェール大学の歴史学のスターリング教授を務めた。イェール大学での人気講座に基づいて中国の過去数百年の歴史を概観した著書"The Search for Modern China"を始めとして、これまでに中国に関する12冊以上の本を出版している。作家、評論家、エッセイストとしても活躍している。

スペンスの主な関心は、近代中国、特に朝と西洋の関係である[5]。スペンスは、伝記から文化的・政治的な歴史を考察することが多い。また、西洋人と中国人による「中国を変えようとする」努力[6]と、それがどのように挫折したかということも共通のテーマである[5]

教育

[編集]

スペンスは、ウィンチェスター・カレッジとケンブリッジ大学クレア・カレッジで教育を受けた。1959年にケンブリッジ大学で歴史学の学士号を取得した。中国の歴史と文化を研究するために、クレア・メロン・フェローシップでアメリカのイェール大学に留学し、1965年に修士号と博士号を取得した。大学院生時代には、1年間オーストラリアに滞在し、清朝史の著名な学者である房兆楹中国語版・杜聯喆の夫妻に師事した[7]

歴史学

[編集]

スペンスは中国史研究の第一人者として広く知られており、2004年から2005年にかけてアメリカ歴史学会英語版の会長を務めた[7]。主に清朝時代を研究しているが、毛沢東の伝記や、20世紀の知識人と革命との関係を研究した"The Gate of Heavenly Peace"なども執筆している。スペンスは、イェール大学の学部で近代中国史の講義を担当しており、その内容を元に"The Search for Modern China"を執筆した。この本の献辞は"For My Students"(学生たちに捧ぐ)となっている。

スペンスは史 景遷(し けいせん)という中国名を持つ。この名前は、スペンスが歴史家の司馬遷を敬愛していることから付けられた(「史」は歴史の「史」であり、「景」は「仰ぎ慕う」という意味の「景仰」から取られた)[8]

賞と栄誉

[編集]

スペンスは、アメリカで8つの名誉学位を取得しているほか、香港中文大学オックスフォード大学(2003年)からも名誉学位を授与されている。北京大学の客員教授や南京大学の名誉教授でもある。2006年には、ケンブリッジ大学クレア・カレッジの名誉フェローに選出された。聖マイケル・聖ジョージ勲章コンパニオンを授与されている[7]

グッゲンハイム・フェロー(1979年)、ロサンゼルス・タイムズ歴史賞(1982年)、アメリカ芸術文学アカデミー英語版のバーゼル賞(1983年)を受賞している。また、アメリカ芸術科学アカデミー会員(1985年)、マッカーサー・フェロー(1988年)、アメリカ議会図書館学者評議員(1988年)、アメリカ哲学協会会員(1993年)、イギリス学士院客員会員(1997年)に選出されている[7]

2008年5月と6月には、BBCラジオ4で放送された60周年記念リース・レクチャーズ英語版を行った[9][10]

2010年には、アメリカ議会図書館で毎年行われるジェファーソン講演会英語版の講師に任命された。これは、アメリカ連邦政府が人文科学分野での功績に対して贈る最高の栄誉である[11]

スペンスは、毛沢東を「20世紀の偉大な指導者の一人」と表現したことで批判された[12]

私生活

[編集]

スペンスはイングランドサリーで生まれ、2000年にアメリカの市民権を取得した[1]

1963年にヘレン・アレクサンダー(Helen Alexander)と結婚したが、1993年に離婚した。ヘレンとの間にはコリンとイアンという2人の息子がいる。

後に台湾出身の金安平英語版中国語版(アンピン・チン、コロンビア大学で中国古典哲学の博士号を取得したイェール大学の歴史学上級講師)と結婚し、コネチカット州ウェストヘイブンに住んでいる。著述家のメイ・チン英語版は金安平の連れ子である。

著作物

[編集]

書籍

[編集]
  • The Search for Modern China (1990; 2nd edition, 1999; 3rd edition 2013)
  • Tsʻao Yin and the Kʻang-hsi Emperor: bondservant and master (1966)[13]
  • To Change China: Western Advisers in China, 1620–1960 (Boston, Little Brown, 1969).
    • 日本語訳 三石善吉 訳『中国を変えた西洋人顧問』講談社、1975年。 
  • Emperor of China: Self-Portrait of K'ang-Hsi (1974)[14]
  • The Death of Woman Wang (1978) - 17世紀の郯城県を舞台とする物語
    • 日本語訳 山本英史 訳『ある農婦の死:十七世紀、中国の現実と夢幻世界』平凡社、1990年。ISBN 4-582-48203-1 
  • The Memory Palace of Matteo Ricci (1984)
  • The Question of Hu (New York: Knopf, 1987 ISBN 978-0-394-57190-4) - 18世紀の中国人で、フランスを訪問した胡若望の伝記
  • Chinese Roundabout: Essays on History and Culture
  • The Gate of Heavenly Peace: The Chinese and Their Revolution 1895–1980 (1982)
  • The Chan's Great Continent: China in Western Minds
  • God's Chinese Son (New York: Norton, 1996 ISBN 978-0-393-03844-6) - 太平天国の乱の首謀者洪秀全の伝記
    • 日本語訳 佐藤公彦 訳『神の子 洪秀全: その太平天国の建設と滅亡』慶應義塾大学出版会、2011年。ISBN 978-4766419061 
  • Mao Zedong. Penguin Lives. New York: Viking Press. (1999). ISBN 978-0-670-88669-2. OCLC 41641238. https://archive.org/details/maozedong00spen 
  • Return to Dragon Mountain: Memories of a Late Ming Man (2007) Viking, 332 pages. ISBN 978-0-670-06357-4
  • Treason by the Book (Viking, 2001) ISBN 0-14-102779-7

書評

[編集]
  • "The Dream of Catholic China" The New York Review of Books 54/11 (28 June 2007) : 22–24 - リアム・マシュー・ブロッキー(Liam Matthew Brockey)の"Journey to the East: the Jesuit Mission to China, 1579–1724"の書評

脚注

[編集]
  1. ^ a b Skinner, David (2010). Jonathan Spence Biography, National Endowment for the Humanities. Retrieved 14 September 2014.
  2. ^ Jonathan D. Spence, Ts'ao Yin and the K'ang-Hsi Emperor: Bondservant and Master(New Haven: Yale University Press, 1966), p. xv. [1]
  3. ^ CEAS | Events”. Eastasianstudies.research.yale.edu. 15 February 2013閲覧。
  4. ^ “Jonathan D. Spence, popular China scholar, dead at age 85” (英語). Toronto Citynews. (2021年12月27日). https://toronto.citynews.ca/2021/12/26/jonathan-d-spence-popular-china-scholar-dead-at-age-85/ 2021年12月28日閲覧。 
  5. ^ a b Roberts, Priscilla "Spence, Jonathan D." pages 1136–1137 from The Encyclopedia of Historians and Historical Writing edited by Kelly Boyd, Volume 2, London:Fitzroy Dearborn Publishers, 1999 page 1136.
  6. ^ Jonathan D. Spence To Change China; Western Advisers in China, 1620–1960. Boston: Little Brown, 1969
  7. ^ a b c d Frederic E. Wakeman Jr., Jonathan D. Spence at American Historical Association website (retrieved 10 March 2010).
  8. ^ Spence, Johnathan D. (1998). 天安门:知识分子与中国革命. Beijing: 中央编译出版社. p. 1 
  9. ^ Earnshaw, Graham (2008). “Reith Lecture: English Lessons”. The China Beat. http://www.thechinabeat.org/?p=146. 
  10. ^ Hayford, Charles W. (2008). “Jonathan Spence's Third Reith Lecture: Dreams, Paradoxes, and the Uses of History”. The China Beat. http://thechinabeat.blogspot.com/2008/06/jonathan-spences-third-reith-lecture.html. 
  11. ^ Jill Laster, "Eminent China Scholar Will Deliver 2010 Jefferson Lecture in the Humanities", Chronicle of Higher Education, 8 March 2010.
  12. ^ https://bitterwinter.org/ccp-holocaust-day-should-be-commemorated-on-october-1/
  13. ^ Spence, Jonathan D. (1988). Tsʻao Yin and the Kʻang-hsi Emperor: Bondservant and Master – Jonathan D. Spence – Google Boeken. ISBN 978-0-300-04277-1. https://books.google.com/books?id=rXiSxh1oGe0C 15 February 2013閲覧。 
  14. ^ Spence, Jonathan D. (25 July 2012). Emperor of China: Self-Portrait of K'ang-Hsi – Jonathan D. Spence – Google Boeken. ISBN 978-0-307-82306-9. https://books.google.com/books?id=hCyU7zwpOfIC 15 February 2013閲覧。 

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]