ジョナサン・クリンスマン
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ヘルタ・ベルリン時代 (2017年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ジョナサン・リー・クリンスマン | |||||
ラテン文字 | Jonathan Lee Klinsmann | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アメリカ合衆国 ドイツ | |||||
生年月日 | 1997年4月8日(27歳) | |||||
出身地 | ミュンヘン | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 89kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ロサンゼルス・ギャラクシー | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 33 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2005-2008 | ブレーズ96 | |||||
2008 | アーヴァイン・レーザーズ | |||||
2008 | グリュントヴァルト | |||||
2009 | バイエルン・ミュンヘン | |||||
2010-2011 | パテアドレス | |||||
2012-2014 | アーヴァイン・ストライカーズ | |||||
2015-2016 | カリフォルニア大学バークレー校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2017-2019 | ヘルタ・ベルリン | 0 | (0) | |||
2017-2019 | → ヘルタ・ベルリンII | 24 | (0) | |||
2019-2020 | ザンクト・ガレン | 0 | (0) | |||
2020- | ロサンゼルス・ギャラクシー | 7 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2014-2015 | アメリカ合衆国 U-18 | 9 | (0) | |||
2015-2017 | アメリカ合衆国 U-20 | 21 | (0) | |||
2019 | アメリカ合衆国 U-23 | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年11月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョナサン・リー・クリンスマン(英語: Jonathan Lee Klinsmann、1997年4月8日 - )は、アメリカ合衆国とドイツのサッカー選手[1]。ポジションはGK[2]。
クラブ歴
[編集]ユース
[編集]サッカーを始めた当初はフォワードをしていた。2009年にFCバイエルン・ミュンヘンの下部組織に在籍した時にゴールキーパーに転向。その後は再びカリフォルニア州に戻り、ユースリーグに参加しながら2011年から2014年にかけては高校でもサッカーをする生活を送っていた。2015年にカリフォルニア大学バークレー校に進学し、22試合に出場した[2]。
ヘルタ・ベルリン
[編集]2014年から2017年にかけては長期休暇の大半をVfBシュトゥットガルトの下部組織で過ごしていた。2017 FIFA U-20ワールドカップに向けての調整をVfBシュトゥットガルトII、ウェストハム・ユナイテッドFC、エヴァートンFCで行った。アイントラハト・ブラウンシュヴァイクからの興味も持たれていたが、2017年7月3日から10日間、ヘルタ・ベルリンに練習参加した[1]。この練習参加中の11日にヘルタ・ベルリンと2年のプロ契約を締結した[3]。
同年12月7日にUEFAヨーロッパリーグ 2017-18でプロ初出場、PKを止めて1-1の引分という結果を残した[4]。
ザンクト・ガレン
[編集]2019年6月30日を以てヘルタ・ベルリンとの契約が満了となった彼は、スイス・スーパーリーグのFCザンクト・ガレンに加入した[5][6]。
代表歴
[編集]2014年にアメリカ合衆国U-18代表に選出されて以来、アメリカ合衆国代表として出場を続けている。
2017年にはCONCACAF U-20選手権2017のメンバーに選出され[7]、6試合中5試合に出場した[8]。同大会ではPK戦の末優勝[9]、彼自身もゴールデングローブに選出されるなど活躍を見せた[10]。これによって2017 FIFA U-20ワールドカップの出場権を獲得し[10]、この大会でも5試合全てに出場した[8]。
2018年11月12日にはイングランド代表、イタリア代表との親善試合に臨むA代表のメンバーに、負傷したザック・ステッフェンの代わりに選出されたが出場は無かった[11]。
私生活
[編集]- 父は元ドイツ代表選手、元アメリカ合衆国代表監督のユルゲン・クリンスマンで、母は中国系アメリカ合衆国人で元モデル[12]。生まれはミュンヘンで、1998年から2008年にかけてカリフォルニア州のニューポートビーチで過ごした。その後、父がバイエルン・ミュンヘンの監督に就任したためにミュンヘンに帰郷、その後は再びカリフォルニアに帰郷し、サンタアナのマター・デイ高校に通い、サッカーとバスケットボールをしていた。その後はカリフォルニア大学バークレー校に進学した。
- 2014年6月にはアメリカ合衆国代表を務めていた父が2014 FIFAワールドカップのメンバーにランドン・ドノバンを選出しなかった為に、ドノバンがユルゲンを批判した事を見て、ジョナサンはツイッターでドノバンを中傷したために非難された[13]。しかしジョナサンはドノバンには一切謝罪もせず、問題のツイッターのアカウントを削除しただけにとどまり、火に油を注ぐ形で半ば強引にツイッター騒動を終結させた。そのため、ドノバンの引退試合の際に父がドノバンに謝罪する羽目になった。
参考文献
[編集]- ^ a b “Jonathan Klinsmann, son of Jürgen, to train with Hertha Berlin - bundesliga.com” (英語). bundesliga.com - the official Bundesliga website. October 10, 2017閲覧。
- ^ a b “Jonathan Klinsmann”. worldfootball.net. HEIM:SPIEL. October 10, 2017閲覧。
- ^ “Klinsmann-Sohn wird Hertha-Keeper”. 10 October 2017閲覧。
- ^ “UEFA Europa League - Hertha-Östersund”. UEFA.com. Union of European Football Associations (December 7, 2017). December 7, 2017閲覧。
- ^ “クリンスマン氏の息子ジョナサン、スイス1部ザンクト・ガレンへ”. kicker (18 June 2019). 18 December 2019閲覧。
- ^ “クリンスマンの息子でU-23アメリカ代表GKジョナサンがザンクト・ガレンへ移籍!「ヨーロッパリーグ出場に貢献したい」” (19 Juner 2019). 18 December 2019閲覧。
- ^ “Jonathan Klinsmann, son of fired coach, on under-20 roster”. USA Today. Associated Press. (February 9, 2017) June 5, 2019閲覧。
- ^ a b Uersfeld, Stephan (July 11, 2017). “U.S. U20 keeper Jonathan Klinsmann signs contract at Hertha Berlin”. ESPN. June 5, 2019閲覧。
- ^ “U.S. U20s beat Honduras on penalties to win first CONCACAF Championship”. ESPN (March 5, 2017). June 5, 2019閲覧。
- ^ a b “U.S.'s Jonathan Klinsmann named top keeper at CONCACAF under-20s”. ESPN (March 6, 2017). June 5, 2019閲覧。
- ^ Uersfeld, Stephan (November 12, 2018). “Jonathan Klinsmann called up for United States friendlies vs. England, Italy”. ESPN. June 5, 2019閲覧。
- ^ “Klinsmann joined Hertha to embrace roots” (英語). ESPN.com (2018年3月6日). 2018年12月15日閲覧。
- ^ “アメリカ代表監督の息子、ドノヴァン落選でツイッターに不適切発言”. サッカーキング. 18 December 2019閲覧。
外部リンク
[編集]- ジョナサン・クリンスマン - Soccerwayによる個人成績
- ジョナサン・クリンスマン - transfermarkt
- ジョナサン・クリンスマン - TheFinalBall.com