ジョゼフ・ラインハルト
ジョゼフ・ラインハルト | |
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出生名 | Joseph Reinhardt |
別名 | Nin-Nin |
生誕 | 1912年3月1日 |
出身地 | フランス パリ |
死没 | 1982年2月7日 |
ジャンル | ジプシー・スウィング |
職業 | ギタリスト |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1920年代 - 1970年代 |
共同作業者 | フランス・ホット・クラブ五重奏団 |
公式サイト | http://www.djangostation.com/Joseph-Reinhardt,144.html |
ジョゼフ・ラインハルト(Joseph Reinhardt、1912年3月1日 - 1982年2月7日)は、フランスのジプシー・ジャズのギタリスト。パリ生まれ。ジャンゴ・ラインハルトの兄弟のひとり(弟)。「ナン=ナン (Nin-Nin)」という通称で呼ばれたジョゼフは、ジャンゴの息子のひとりで、「バビク (Babik)」と通称されるギタリスト/作曲家のジャン=ジャック・ラインハルト (Jean-Jacques Reinhardt) の叔父である[1]。
経歴
[編集]ジョゼフは幼いころからバンジョーを奏で、シンティのキャンプや、カフェのテラス、バル・ミュゼット(bal musette:ダンスをする社交場)などで兄ジャンゴとともに演奏していた[2]。
1931年にトゥーロンでエミール・サヴィトリ (Émile Savitry) を通してジャズを知り、1932年から1933年にかけてギターを習得し、コールマン・ホーキンスら熟練ミュージシャンとも共演した[3]。
1934年以降、ジョゼフは、フランス・ホット・クラブ五重奏団の活動にすべてを捧げた。兄ジャンゴの陰で目立つことはなかったが、兄の最も忠実な仲間であり、シャルル・ドロネー (Charles Delaunay) はジョゼフを「兄の陰にいるが、ギターを忠実に運び、交換用の弦を用意している」人物であったと述べている[4]。
ジョゼフは1937年に五重奏団から独立し、同年にはビル・コールマン (Bill Coleman) との録音を行ない、1940年にはエメ・バレリ (Aimé Barelli) の楽団に加わり、その後、アリックス・コンベル (Alix Combelle) の楽団「ジャズ・ド・パリ (Jazz de Paris)」に移った[2]。
1943年、ジョゼフは、アンドレ・オディール (André Hodeir) とともに、自身のグループを結成した。
1953年に兄ジャンゴが死去したとき、ジョゼフはアコースティック・ギターをやめてエレクトリック・ギターに持ち替えたが、1957年には再び元のギターに戻った。ジョゼフはヴァイオリニストのピエール・ラモネ (Pierre Ramonet)、ヴィヴィアン・ヴィラステイン (Vivian Villerstein)とともに、新たに五重奏団を組み、カルチエ・ラタンのクラブなどに出演した。
出典・脚注
[編集]- ^ Jean-Louis Comolli et al. (2011), p.1065
- ^ a b Jean-Louis Comolli et al. (2011), p.1066
- ^ Charles Delaunay (1985), p.102
- ^ Anne Legrand (2006), p.85
参照文献
[編集]- Jean-Louis Comolli, André Clergeat, Philippe Carles, Le Nouveau dictionnaire du Jazz, Robert Laffont, , 1455 p. (ISBN 978-2-221-11592-3)
- Anne Legrand, Charles Delaunay et le Jazz en France dans les années 30-40, Éditions du Layeur, 2006 et 2010, 239 p. (ISBN 978-2-915118-57-5)
- Charles Delaunay, De la peinture au jazz, Paris, W, , 271 p. (ISBN 2-86-887004-X)