ジョアシャン・ブーヴェ
ジョアシャン・ブーヴェ | |
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生誕 |
1656年7月18日 フランス、ル・マン |
死没 |
1730年6月28日 清、北京 |
職業 | 宣教師 |
ジョアシャン・ブーヴェ(Joachim Bouvet、1656年7月18日 - 1730年6月28日)は、中国で活動したイエズス会士の一人。中国では白晋、または白進と称された。
生涯
[編集]1656年、フランスのル・マンで生まれた。1673年にイエズス会に入会し、1685年に司祭に叙階された。ルイ14世のもとで組織された6人の宣教師からなる中国宣教団のひとりとして、1685年にフランスを出発した。宣教団は一時タイに滞在したのち、中国南部の寧波を経て、1688年に北京に到着した。宣教団のうち、ブーヴェとジェルビヨンは康熙帝の宮廷で西洋科学を教えた。
その後、康熙帝からルイ14世への遣使として、1693年にブーヴェは中国を離れて1697年にフランスに着いた。ブーヴェは康熙帝が送った49部(一説に300部とも[2])の漢籍をルイ14世に献上した。1698年に再びフランスを出発して、ルイ14世の返礼およびジョゼフ・アンリ=マリー・ド・プレマールなどの多くの宣教師とともに中国に帰還した。帰国後は皇太子胤礽の教育にあたった。
1701年、ブーヴェはゴットフリート・ライプニッツに邵雍の六十四卦(先天図)を送った。これはライプニッツの1703年の二進法に関する論文に使用された[3]。一方、ブーヴェは『易経』などの中国の経書の中に聖書の真実が隠されていると考えていた(en:Figurismを参照)。
ブーヴェは清朝に数学、天文学などの学術を伝えたほか、大規模な実測地図である「皇輿全覧図」の作成にかかわった。また、ブーヴェがフランスで出版した『康熙帝伝』(後藤末雄訳・矢沢利彦補訂、平凡社東洋文庫、初版1970年)は、中国の事情をヨーロッパへ伝えることになった。1730年、北京で没した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Mungello, David E (1989). Curious Land: Jesuit Accommodation and the Origins of Sinology. University of Hawaii Press. ISBN 0824812190
- 長綱啓典「蓋然性の論理学 : ライプニッツ中国学の方法論への一視点」『東洋文化研究(学習院大学)』第16巻、2014年、358-380頁。
関連文献
[編集]- 『イエズス会士中国書簡集』 平凡社東洋文庫全6巻、1970-74年
- 全て矢沢利彦編訳、特に第1巻 康煕編、第6巻 信仰編
- 『イエズス会士書簡集 中国の医学と技術』 平凡社東洋文庫、1977年
- 『イエズス会士書簡集 中国の布教と迫害』 平凡社東洋文庫、1980年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Joachim Bouvet(カトリック百科事典、1913年)
- Claudia von Collani, Biography of Joachim Bouvet SJ, China missionary, Stochastikon [リンク切れ]
- John W. Witek, Joachim Bouvet, Biographical Dictionary of Chinese Christianity
- 馮曉薇『白晉』華人基督教史人物辭典 。
- 『白晉』香港天主教教區檔案 。