ジュリアス・チャロフ
ジュリアス・チャロフ Julius Chaloff | |
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生誕 | 1892年9月2日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ボストン |
死没 | 1979年10月1日(87歳没) |
学歴 | ニューイングランド音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト・作曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
ジュリアス・チャロフ(Julius Chaloff、1892年9月2日 - 1979年10月)は、アメリカ合衆国のピアニスト・ピアノ教師・作曲家。
経歴
[編集]ロシア系の両親のもとにボストンに生まれる。著名なピアノ教師のマーガレット・ステッドマンと結婚した。息子サージはジャズ・ミュージシャンとなり、ウディ・ハーマンの楽団員として名を馳せた。門弟にも著名なジャズ・ミュージシャンがおり、キース・ジャレットやケニー・ワーナー、チック・コリア、ハービー・ハンコック、スティーヴ・キューンらを擁する。
少年時代に並外れた楽才を発揮して11歳でニューイングランド音楽院に入学し、アルフレッド・デヴォートーに師事した。6年間在籍した後、17歳でディプロマを修得し、当時最年少の卒業生となった。上級クラスに在籍中に、メイソン・アンド・ハムリン社によるピアノ・コンクールで1位になった(審査員はジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィックとチャールズ・マーティン・レフラーならびにマックス・フィードラーであった)。
チャロフは長年ヨーロッパに過ごし、ベルリンでポーランド人ピアニストのイグナツ・フリードマンに師事した。作曲と指揮法はフーゴー・カウンに師事している。1913年1月18日に、ブリュートナー交響楽団(Symphonisches Blüthner-Orchester Berlin )と共演してベルリンにデビューし、著しい成功を収めた。
1913年に機械の天才チャールズ・ストッダードと出逢い、アンピコ社のために自動再生ピアノを開発して完成させる。この楽器は、黄金時代の偉大なヴィルトゥオーゾの至芸を後世に伝えるものとなり、ラフマニノフやレヴィーンなどのアメリカ在住の著名なコンサート・ピアニストが、アンピコ社に録音した。チャロフもまたその一人となった。
録音
[編集]現存する録音演奏作品はごくわずかであり、チャロフが遺したレコードの数は、次のように数少ない。
- セザール・フランクの《前奏曲、フーガと変奏曲》
- ショパンの《舟歌 嬰ヘ長調》作品60
- ショパンの《バラード第4番 ヘ短調》作品52
- ドビュッシーの《夜想曲 変ニ長調》
- エドゥアルト・ゲルトナー(フリードマン編)の《ウィーン舞曲 第1番 変ト長調》
- 自作の《想い出》作品14-1
- フリードマンの《彼女は踊る(Elle Danse)》
- バラキレフの《イスラメイ》
脚注
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外部リンク
[編集]- "65343 Chopin Ballade No 4 in F minor", Classical Music on the Ampico (鑑賞にQuickTime が必要)
- Chopin Ballade #4 in F Minor performed by Julius Chaloff, Audio only
- Julius Chaloff performs Debussy's Nocturne in D flat, Audio only (Ampico社のピアノロールによる再生音)
- Julius Chaloff performs Balakirew's Islamey, Audio only (同上)
- Mason & Hamlin AMPICO plays Islamey by Balakirev pb Chaloff
- ショパン バラード4番 Op.52 - Ampico社のピアノロールに残された演奏