ジャーマースプ (カワード1世の皇子)
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ジャーマースプ | |
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カワード1世の皇子 | |
死去 |
532年 |
子女 | カワード |
家名 | サーサーン家 |
父親 | カワード1世 |
宗教 | ゾロアスター教 |
ジャーマースプ(Jamasp または Zamasp)は、6世紀のサーサーン朝の皇子であり、サーサーン朝の王であるカワード1世(在位:488年 - 496年、498年/499年 - 531年)の第二子であった。ジャーマースプは戦争における軍事手腕を大いに称賛されていたものの、目を失ったために王位継承の権利を失った[1]。その翌年にジャーマースプの弟のホスロー1世(在位:531年 - 579年)が即位した後、アスパーフバド家の貴族であるバウィが、他のペルシア貴族達と共謀してホスロー1世を打倒し、ジャーマースプの息子のカワードを新しい王に擁立しようとする陰謀に巻き込まれた。ジャーマースプは摂政として統治する予定であった[2]。しかし陰謀は露見するところとなり、ジャーマースプは殺害された[3]。
出典
[編集]- ^ Martindale & Morris 1980, p. 1995; Crone 1991, p. 31
- ^ Martindale & Morris 1980, p. 1995; Pourshariati 2008, p. 111
- ^ Martindale & Morris 1980, p. 1995.
参考文献
[編集]- Crone, Patricia (1991). “Kavād's Heresy and Mazdak's Revolt”. Iran 29: 21–42. JSTOR 4299846. (要登録)
- Greatrex, Geoffrey; Lieu, Samuel N. C. (2002). “Justinian's First Persian War and the Eternal Peace”. The Roman Eastern Frontier and the Persian Wars (Part II, 363–630 AD). New York, New York and London, United Kingdom: Routledge. pp. 82–97. ISBN 0-415-14687-9
- Pourshariati, Parvaneh (2008). Decline and Fall of the Sasanian Empire: The Sasanian-Parthian Confederacy and the Arab Conquest of Iran. London and New York: I.B. Tauris. ISBN 978-1-84511-645-3
- Martindale, John R.; Morris, John (1980), The Prosopography of the Later Roman Empire: Volume II, AD 395–527, Cambridge University Press, ISBN 978-0521201599