ジャン・ロンドー
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ジャン・ロンドー(Jean Rondeau 、1946年5月13日 - 1985年12月27日[注釈 1])は、フランスのインテリアデザイナー[1]、レーシングドライバー、カーデザイナーである。
略歴
[編集]1980年のル・マン24時間レースにフォード・コスワースDFVエンジンを搭載したロンドー・M379を3台持ち込み、自らもジャン=ピエール・ジョッソーと組んでドライバーとして参戦し優勝、「自らの名を冠した自動車でル・マン24時間レースを制した唯一の人物」となった[1]。
1985年[1]12月27日、ポルシェを運転していたロンドーは、ル・マンから9マイルほど離れたシャンパーニュの踏切で遮断機の間に閉じ込められ、列車との衝突事故で死亡したことが警察から発表された[1]。39歳没[2]。事故現場はロンドーがフォーミュラ・フォード用の車などを製造していたファクトリーからわずか1マイルほどの場所で、自身も開発に携わっていたMVS・ヴェンチュリの生産開始(1987年)を見届けることなくこの世を去った。
レース戦績
[編集]ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1972年 | ブライアン・ロビンソン | ブライアン・ロビンソン | シェブロン・B21 | S 2.0 |
76 | DNF | DNF |
1974年 | クリスチャン・ポワロ | クリスチャン・ポワロ | ポルシェ・908/02 | S 3.0 |
252 | 19位 | 7位 |
1975年 | オート マツダ クロード ブシュー | クロード・ブシュー | マツダ・RX-3 クーペ | TS | 78 | DNF | DNF |
1976年 | イナルテラ | ジャン=ピエール・ジョッソー クリスティン・ベッカーズ |
イナルテラ・LM-フォード コスワース | GTP | 264 | 21位 | 3位 |
1977年 | ジャン・ラニョッティ | イナルテラ・LM77-フォード コスワース | GTP | 315 | 4位 | 1位 | |
1978年 | ジャン・ロンドー | ジャッキー・ハラン ベルナール・ダルニッシュ |
ロンド―・M378-フォード コスワース | GTP 3.0 |
294 | 9位 | 1位 |
1979年 | マーリン プラージュ ロンドー | ジャッキー・ハラン | ロンド―・M379-フォード コスワース | GTP 3.0 |
207 | DNF | DNF |
1980年 | ジャン・ロンドー ITT ルポワン | ジャン=ピエール・ジョッソー | S 3.0 |
338 | 1位 | 1位 | |
1981年 | オーチス ジャン・ロンドー | ジャン=ピエール・ジョッソー | S 3.0 |
58 | DNF | DNF | |
1982年 | オーティス オートモービルズ ジャン・ロンドー | ジャン・ラニョッティ アンリ・ペスカロロ |
ロンド―・M382-フォード コスワース | C | 146 | DNF | DNF |
1983年 | フォード フランス | アラン・フェルテ ミシェル・フェルテ |
ロンドー・M482-フォード コスワース | C | 90 | DNF | DNF |
1984年 | ヘンズ T-バード スワップショップ | ジョン・ポールJr. | ポルシェ・956 | C1 | 358 | 2位 | 2位 |
1985年 | ウェルター レーシング | ジャン=ダニエル・ローレ ミシェル・ピニャール |
WM・P83B | C1 | 299 | 17位 | 13位 |
注釈
[編集]- ^ 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』p.25は1945年生、1985年12月30日没としているが、:en:と:fr:が一致しているためそちらに従った。
出典
[編集]- ^ a b c d 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.5-28。
- ^ Train Kills French Racing Driver ロサンゼルス・タイムズアーカイヴ 1985年12月27日
参考文献
[編集]- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
タイトル | ||
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先代 クラウス・ルートヴィッヒ ビル・ウィッティントン ドン・ウィッティントン |
ル・マン24時間優勝者 1980 with: ジャン=ピエール・ジョッソー |
次代 ジャッキー・イクス デレック・ベル |