ジャン・ミュジー
ジャン・ミュジー Jean Musy | |
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ジャン・ミュジー(2012年) | |
基本情報 | |
出生名 | Jean Roland François Musy |
生誕 |
1947年12月18日 フランス パリ・ルヴァロワ=ペレ |
死没 |
2024年4月27日 (76歳没) ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏・ニエーヴル県 |
ジャンル | 現代音楽 |
職業 | 作曲家、編曲家、ソングライター |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1966年 - 2024年 |
ジャン・ミュジー(フランス語: Jean Musy、1947年12月18日 - 2024年4月26日[1]または4月27日[2])は、フランスの作曲家、編曲家、ピアニスト、オーケストラ指導者。これまでに200曲を超える映画音楽やテレビシリーズの音楽を作曲し、1000枚以上のシングルおよび約150枚のアルバムの制作に携わっている。妻はシンガーソングライターのクレア・ダスタ。
来歴・活動
[編集]ジャン・ミュジーは、フランスのパリ北西部に位置するオー=ド=セーヌ県のコミューン、ルヴァロワ=ペレの家庭に生まれる。父は博学な人物で、印刷業に従事していた。ミュジーは子供の頃に耳でピアノを覚え、独学で弾き始める[3]。
10代前半の頃、ハモンドオルガンとジャズに触れ、14歳の時には音楽家たちのグループに加わり、パリのジャズクラブで行われたコンサートに初めて出演する。
16歳の時にオルガン奏者として″ジャン・ミュジー・オーケストラ″を設立する[3]。この頃アメリカ人のギタリスト、スタジオミュージシャンでありジョニー・アリディの楽曲のアレンジを務めていたミッキー・ベイカーと知り合い、ニノ・フェレールの伴奏を担当する。1年間フェレールと共にツアーを行い、アルバム『Je voudrais être noir』の制作にも携わり、ディジョンのスタジオでレコーディングを行った。ベイカーの伝で、ミュジーはジョー・ダッサンに紹介される。1968年、ダッサンの編曲者であるジョニー・アーシーが病に倒れたため、ダッサンは2日以内に録音しなければならなかった「オー・シャンゼリゼ」のアレンジをミュジーに依頼する。ミュジーはこれを承諾し、オーケストラの指揮とピアノ伴奏を引き継いだ。
1976年、フランシス・レイと出会い、1977年にミュジーはレイが映画『Bilitis』のために書き下ろした曲の編曲を担当した。その後1978年に『Les Ringards』で作曲を手掛け、1980年に発表されたレイのソロアルバム『Paris - New York』の編曲を担当した。
ほか、バルバラ、ヴェロニク・サンソン、シャルル・アズナヴール、フランソワーズ・アルディ、セルジュ・レジアニ、ジルベール・ベコーなど、数多の著名なアーティストとも共演している[2]。
2016年にSACEM(フランスの著作権管理団体)音楽大賞を映像部門で受賞。2017年に『My beloved Brother』でUCMF(フランス映画音楽作曲者協会)″Audiovisual″賞を受賞した。2019年にはUCMFの連合会長に就任する[3]。
最後に音楽制作を担当した映画に、ピエール・アルディティ主演のスリラー『Mémoire trouble』(2022年) がある。
2024年4月26日または27日に死去。76歳没[1][2]。
主な作品
[編集]映画音楽
[編集]- 1979年『Clair de femme(女の輝き)』(監督:コスタ=ガヴラス)
- 1979年『Laisse-moi rêver』(監督:ロベール・メネゴス)
- 1980年『Le Cœur à l'envers』(監督:フランク・アプレデリス)
- 1980年『Tanya's Island(秘宮のタニア)』(監督:アルフレッド・ソウル)
- 1981年『Chanel Solitaire(ココ・シャネル)』(監督:ジョージ・カッツェンダー)
- 1981年『Le bahut va craquer』(監督:ミシェル・ネルヴァル)
- 1983年『Papy fait de la résistance』(監督:ジャン・マリー・ポワレ)
- 1983年『Itinéraire bis』(監督:クリスチャン・ドリロー)
- 1983年『Prends ton passe-montagne, on va à la plage』(監督:エディ・マタロン)
- 1984年『Les Fausses Confidences』(監督:ダニエル・ムースマン)
- 1987年『Le Journal d'un fou』(監督:ロジャー・コッジョ)
- 1987年『Les Nouveaux Chevaliers du ciel(スカイナイツ)』(監督:パトリック・ジャマン)
- 1988年『Baby Blues(ベイビー・ブルース)』(監督:ダニエル・ムースマン)
- 1989年『Vanille Fraise』(監督:ジェラール・ウーリー)
- 1989年『Noce blanche(白い婚礼)』(監督:ジャン・クロード・ブリソー)
- 1990年『Le Voleur d'arc-en-ciel(ホドロフスキーの虹泥棒)』(監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)
- 1993年『Deux Doigts de meurtre』(監督:エディ・マタロン)
- 1994年『L'Ange noir(ランジュ・ノワール/甘い媚薬)』(監督:ジャン・クロード・ブリソー)
- 1994年『Saint-Exupéry : La Dernière Mission(サン=テグジュペリ/星空への帰還)』(監督:ロベール・アンリコ)
- 2000年『Les Savates du bon Dieu』(監督:ジャン・クロード・ブリソー)
- 2006年『Les Anges exterminateurs(はじらい)』(監督:ジャン・クロード・ブリソー)
- 2008年『À l'aventure』(監督:ジャン・クロード・ブリソー )
- 2011年『La Vie en miettes( 完璧なストレンジャー)』(監督:ドゥニ・マルバル)
- 2018年『Que Le Diable Nous Emporte(愉楽への手ほどき)』(監督:ジャン・クロード・ブリソー)
テレビシリーズ
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楽曲制作に携わったアーティスト
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “MUSY Jean Roland Francois Levallois-Perret 1947 - Saint-Amand-en-Puisaye”. matchid. 2024年5月18日閲覧。
- ^ a b c “Mort du compositeur Jean Musy, à 76 ans, auteur de la musique de Papy fait de la résistance, Les Champs-Élysées” (フランス語). Le Figaro (2024年4月28日). 2024年8月11日閲覧。
- ^ a b c “Jean Musy Biography”. Sonolize. 2024年5月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- Musy - 素晴らしき映画音楽作曲家たち - cinemagate.com
- ジャン・ミュジー - IMDb
- Répertoire SACEM(仏語)
- ジャン・ムジー(Jean Musy) - allcinema
- ジャン・ムジー - 映画.com
- Jean Musy - Discogs