ジャンネット・デ・ロッシ
ジャンネット・デ・ロッシ Giannetto de Rossi | |||||
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生年月日 | 1941年8月8日 | ||||
没年月日 | 2021年4月11日(79歳没) | ||||
出生地 | イタリア ラツィオ州ローマ | ||||
職業 | 特殊効果スタッフ、メイクアップアーティスト、特殊メイクアーティスト | ||||
ジャンル | 映画、テレビ映画、テレビドラマ | ||||
配偶者 | ミレッラ・デ・ロッシ | ||||
著名な家族 |
アルベルト・デ・ロッシ(父) カミッロ・デ・ロッシ(祖父) | ||||
主な作品 | |||||
特殊メイク 『悪魔の墓場』『サンゲリア』『ビヨンド』『デューン/砂の惑星』『仮面の男』 | |||||
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ジャンネット・デ・ロッシ(Giannetto de Rossi, 1941年8月8日 - 2021年4月11日)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ出身のメイクアップアーティスト、特殊メイクアーティスト、特殊効果技師である。
人物
[編集]ベルナルド・ベルトルッチ、セルジオ・レオーネ、フェデリコ・フェリーニ、フランコ・ゼフィレッリ、デヴィッド・リンチなど、多くの著名な監督の映画での特殊メイク及びメイクアップや、カルト映画監督のルチオ・フルチやアレクサンドル・アジャの作品における特殊メイク及び特殊視覚効果で知られる。
彼は特に、ホラー映画でのリアルな特殊メイクで知られた[1]。ただしキャリア全体を通してホラー映画の割合は決して多くはなく、とくに1980年代後半以降は文芸映画、SF映画、アクション映画の方が多数と言える。
父親のアルベルト・デ・ロッシもイタリア映画界のメイクアップ・アーティストとして、オードリー・ヘプバーン、エリザベス・テイラー、クラウディア・カルディナーレなど大スターのメイクを担当した[2]。
妻のミレッラ・デ・ロッシは映画のヘアスタイリストであり、しばしば夫婦で映画撮影に参加していた。
マウリツィオ・トラーニやロザリオ・プレストピーノといった優秀なメイクアップアーティストを育てたことも功績と言える。
しばしば混同されるイタリアの特殊効果技師ジーノ・デ・ロッシ(Gino de Rossi、『ラストエンペラー』(1987年)で英国アカデミー賞特殊効果賞にノミネート)とは別人である。
経歴
[編集]1941年、ローマのチネチッタスタジオで働くメイクアップアーティスト、アルベルト・デ・ロッシの長男として生まれる。また、祖父のカミッロ・デ・ロッシはイタリア映画界で初のメイクアップアーティストとされる人物であり、幼少期から父と祖父にメイクアップの技術を学んだ[3]。
10代後半から映画のメイクアップアーティストとなって父親の仕事を手伝う。成人後もフランコ・ゼフィレッリ監督の『じゃじゃ馬ならし』(1967)、セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』(1968)などの大作映画で、父アルベルトの助手を務める。
やがて父の助手から独立して、テレンス・ヤング監督の『バラキ』(1972)、エットレ・スコーラ監督の"La più bella serata della mia vita"(1972)などでメイクアップを担当。
1973年、ルチオ・フルチ監督のコメディ映画『エロティシスト』(1973)の特殊メイクを担当。デ・ロッシは、出演する俳優を実在する政治家に似せる特殊メイクを施し、劇中における悪夢のシーンのSFX特殊効果も手がけた[1][3]。やがて本作の6年後に組んだ映画で、デ・ロッシとフルチは世界的に注目を集めることとなる(後述)。
1974年、イタリア初のゾンビ映画『悪魔の墓場』(1974)でゾンビの特殊メイクを担当。カラーでのゾンビの特殊メイクとしては最初期の作品であり、オカルト映画ブームの中でこの映画はかなりの話題を呼んだ。
1977年、ジョー・ダマトの映画"Emanuelle in America"(1977)では、悪名高いスナッフフィルムのシーンにおいて特殊メイク及び特殊視覚効果を手がけた。デ・ロッシが作り出した残酷描写の特殊効果は非常に説得力があり、多くの観客から本物のスナッフフィルムのシーンではないかとの訴えが起こり、スタッフに対し警察による事情聴取が行われた。また、出演した女優はこのシーンに出演したトラウマで精神疾患になったと訴え裁判を起こしたことで話題となった[1][3][4]。
同時期、巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の『フェリーニのカサノバ』(1976)や、ベルナルド・ベルトルッチ監督『1900年』(1976)といった名作映画において特殊メイク及びメイクアップを担当する。
1979年、ルチオ・フルチのホラー映画『サンゲリア』(1979)の特殊メイクを担当。世界的なヒットを遂げる、監督フルチとともに、デ・ロッシの名前も世界中に知られるようになった。当初、フルチはジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』(1978)の特殊メイクの模倣を要求したが、デ・ロッシはロメロ作品におけるトム・サヴィーニの特殊メイクとは異なるデザインを考案し、ラテックスによる腐乱死体を思わせるメイクアップを完成させた。結果はフルチを満足させ、今日でもこの映画の特殊メイクは優れていると考えられてる。また、ゾンビに襲われた女性の目に木片が突き刺さるシーンは、イタリアン・ホラーの最も有名なシーンの1つとなった[3]。
デ・ロッシはフルチの翌年の映画『ビヨンド』(1980)でも特殊メイクを担当。前作をしのぐ印象的な残酷描写を作りだし、更なる名声を高めた。
さらに翌年のフルチ監督作『墓地裏の家』(1981)の特殊メイク担当者としても、ジャンネット・デ・ロッシがマウリツィオ・トラーニとともにクレジットに記載されている。しかし、デ・ロッシの証言によると多忙のためこの映画の現場には参加しておらず、実際に特殊メイクを手がけたのはトラーニだけであった[5]。
ディノ・デ・ラウレンティスは、自身がプロデュースしていた2本の映画『デューン/砂の惑星』(1984)と『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』(1984)の撮影現場での特殊効果を制作するためにデ・ロッシを雇った。デ・ロッシは、『デューン/砂の惑星』で水槽に浮かぶ胎児の姿をしたギルドのナビゲーターの造形や、『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』でアンドレ・ザ・ジャイアントが着用したダゴスのモンスタースーツなど、数多くの印象的な特殊効果を制作した[4]。
1980年代後半には『ランボー3/怒りのアフガン』(1988)の特殊メイクを担当。ランボーが銃弾による胴体の傷口に火薬を点火して自らを癒すシーンでは、デ・ロッシはシルベスター・スタローンの腹部と背中から同時に炎が噴出する装置を仕掛けた。スタローンはデ・ロッシの仕事に非常に感銘を受け、『デイライト』(1996)の特殊メイクにもデ・ロッシを起用した[4]。
1989年にはファブリツィオ・デ・アンジェリス監督の映画『キラー・クロコダイル』(1989)における巨大ワニのモンスターを製作する。その続編『キラー・クロコダイル/怒りの逆襲』(1990)では監督も務めた。
映画『仮面の男』(1998)で使用されたマスクのデザイナーとしても有名である[6]。
2003年、フランスの若手ホラー映画監督アレクサンドル・アジャの依頼を受け、『ハイテンション』(2003)で特殊メイクを担当。シッチェス・カタロニア国際映画祭最優秀特殊メイク賞を受賞。
2021年4月11日、死去。
主なフィルモグラフィ
[編集]- 『怒りの荒野』I giorni dell'ira(1967)
- 『じゃじゃ馬ならし』The Taming of the Shrew(1967年)
- 『ウエスタン』C'era una volta il West (1968)
- 『ワーテルロー』(1970)
- 『女にしっぽがあったころ』Quando le donne avevano la coda (1970)
- "La più bella serata della mia vita"(1972)
- 『上院議員は女性がお好き』(別題『エロティシスト』)Nonostante le apparenze... e purchè la nazione non lo sappia... all'onorevole piacciono le donne (1972)
- 『バラキ』The Valachi Papers(1972年)
- 『さらばバルデス』Valdez, il mezzosangue (1973)
- 『悪魔の墓場』Non si deve profanare il sonno dei morti(1974)
- 『別離』(1974年)
- 『ブラック・シャツ/独裁者ムッソリーニを狙え!』Mussolini: Ultimo atto (1974)
- 『フェリーニのカサノバ』Il Casanova di Federico Fellini (1976)
- 『1900年』Novecento(1976年)
- "Emanuelle in America"(1976)
- 『サンゲリア』Zombi 2 (1979)
- 『ヒューマノイド/宇宙帝国の陰謀』(1979)
- 『地獄の謝肉祭』Apocalypse domani(1980)
- 『ビヨンド』...e tu vivrai nel terrore!: L'aldilà (1980)
- 『野獣死すべし』Luca il contrabbandiere(1980)
- 『墓地裏の家』Quella villa accanto al cimitero (1981)(クレジットのみ)
- 『殺人魚フライングキラー』Piranha II: The Spawning(1981)
- 『トラヴィアータ/椿姫』 La traviata(1982)
- 『カヴァレリア・ルスティカーナ』Cavalleria rusticana(1982)
- 『道化師』I pagliacci(1982)
- 『デューン/砂の惑星』Dune(1984)
- 『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』Conan the Destroyer(1984)
- 『ランボー3/怒りのアフガン』(1988)
- 『キラー・クロコダイル』(1989)
- 『Dr. M/ドクトル・エム』(1990)
- 『キラー・クロコダイル/怒りの逆襲』(1990)- 監督も兼任
- 『映写技師は見ていた』(1991)
- 『デイライト』(1996)
- 『ドラゴンハート』(1996)
- 『仮面の男』(1998)
- 『宮廷料理人ヴァテール』(2000)
- 『戦場のジャーナリスト』(2000)
- 『ハイテンション』(2003)
- 『モディリアーニ 真実の愛』(2004)
- 『ニーベルングの指輪』(2004)
- 『セブン・シスターズ』(2017)
脚注
[編集]- ^ a b c https://dailydead.com/the-drive-of-passion-the-life-and-films-of-giannetto-de-rossi/
- ^ https://vintagestardust.wordpress.com/2017/01/18/alberto-de-rossi-makeup-artist/
- ^ a b c d Il terrorista dei generi. Tutti i film di Lucio Fulci Paolo Albiero e Giacomo Cacciatore, 2004
- ^ a b c https://www.cbr.com/horror-sfx-legend-giannetto-de-rossi-obituary/
- ^ Italian Gothic Horror Films, 1980-1989 : Curti, Roberto (2019), ISBN 978-1476672434
- ^ http://www.filmscouts.com/scripts/matinee.cfm?Film=man-iro&File=productn