ジャムビィン・バトムンフ
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ジャムビン・バトムンフ Жамбын Батмөнх | |
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生年月日 | 1926年3月10日 |
出生地 |
モンゴル人民共和国 オブス県ヒャルガス |
没年月日 | 1997年4月14日(71歳没) |
死没地 | モンゴル ウランバートル |
出身校 | モンゴル州立大学 |
前職 | モンゴル大学学長 |
所属政党 | モンゴル人民革命党 |
配偶者 | アビルメディーン・ダーリマー |
子女 | 3人 |
在任期間 | 1984年8月24日 - 1990年3月14日 |
在任期間 | 1984年12月12日 - 1990年3月21日 |
在任期間 | 1974年7月11日 - 1984年12月12日 |
ジャムビィン・バトムンフ(ジャムビン・バトムンフ、モンゴル語: Жамбын Батмөнх、ラテン文字転写の例:Jambyn Batmönkh、1926年3月10日 - 1997年4月14日)は、モンゴル人民共和国の政治家、経済学者。モンゴル人民革命党元書記長。1990年のモンゴル民主化運動での役割から、「モンゴルのゴルバチョフ」と呼ばれる。
略歴
[編集]1926年3月10日、モンゴル人民共和国のオブス県ヒャルガスに誕生する。
- 1974年 ツェデンバルが党第一書記を辞任し、人民大会議幹部会議長に就任。バトムンフが首相の座を得る。
- 1984年 ツェデンバルが健康問題を理由に更迭され、党書記長に就任。
- 1986年 北朝鮮訪問[1]。金日成主席が平壌国際空港に出迎えに現れ、金日成の銃撃・死亡説を否定。
- 1987年 経済改革に着手。独立採算制を導入。
- 1988年 歴史の見直しに着手。
- 1990年 民主化運動により書記長辞任。
その他
[編集]1978年にNHKで放送されたNHK特集“大草原のまつり~モンゴルをゆく”ではツェデンバルのナーダムの開祭宣言の場面でバトムンフやマイダルの姿が見える。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- バトムンフのポスター
- 1988年のメーデー(左からゴルバチョフ、バトムンフ、レーニン、スフバートル)
公職 | ||
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先代 ニャミン・ジャグバラル (臨時) |
モンゴル人民共和国 人民大会議幹部会議長 第11代:1984年12月12日 - 1990年3月21日 |
次代 ポンサルマーギーン・オチルバト |
先代 ユムジャーギィン・ツェデンバル |
モンゴル人民共和国 閣僚評議会議長 第13代:1974年7月11日 - 1984年12月12日 |
次代 ドゥマーギーン・ソドノム |
党職 | ||
先代 ユムジャーギィン・ツェデンバル |
モンゴル人民革命党書記長 第18代:1984年8月24日 - 1990年3月14日 |
次代 ゴンボジャヴィーン・オチルバト |