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インドネシア国鉄Rheostatik電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガンビル駅に停車するKL3形電車

Rheostatik(レオスタティック)は、かつてインドネシアの首都であるジャカルタ都市圏の電化路線(KRLコミューターライン)で運用されていた KL3-76/78/83/84形電車およびKL3-86/87形電車 (ED101系電車) の通称である[1][2][3][4][5]

導入までの経緯

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1970年代中盤までのインドネシア国内の旅客列車はオランダ領東インド時代から続く電気機関車ディーゼル機関車が牽引する客車列車がほとんどで、1977年の時点で電車や気動車といった動力分散方式の列車は西ドイツから輸入した10両のみであった。その状況は首都ジャカルタ都市圏(ジャボタベック圏)も同様であり、1924年に電化が行われながらも主力は電気機関車が牽引する客車列車で、通勤輸送に活かされる事はなかった。そこで、独立後のインドネシアは日本からの円借款による大規模な近代化計画を立ち上げ、駅や線路など施設の改良、ジャボタベック圏の路線の高架化に加え、日本の鉄道車両メーカーが製造した電車や気動車を多数導入する事となった。その中で最初にジャボタベック圏の電化路線に導入されたのが、Rheostatik(レオスタティック)[注釈 1]と言う名称で呼ばれた一連の電車である[1][6][7][8][9]

概要

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KL3-76/78/83/84形

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インドネシア国鉄ED101系電車
"Rheostatik Mild Steel"

KL3-76形電車(1994年撮影)
KL3-78/83/84形電車(2006年撮影)
基本情報
運用者 インドネシア国鉄→PT Kereta Api→PT KAI Commuter Jabotabek
製造所 艤装
日本車輌製造
川崎重工業
電気機器
日立製作所
製造年 1976年
1978年
1983年
1984年
製造数 20両(4両編成5本、1976年)
20両(4両編成5本、1978年)
24両(4両編成6本、1983年)
16両(4両編成4本、1984年)
運用開始 1976年8月
運用終了 2013年7月24日
投入先 KRLジャボタベック
主要諸元
編成 4両編成(Tc+M1+M2+Tc)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
設計最高速度 100 km/h
車両定員 135人(座席82人)(Tc)
148人(座席92人)(M1、M2)
自重 32.0 t(Tc)
39.0 t(M1、M2)
全長 20,000 mm
全幅 2,990 mm
全高 3,600 mm
床面高さ 1,200 mm
台車 NT40(Tc)
ND112(M1、M2)
車輪径 860 mm
発電機 日立製作所
HS-544Gr
主電動機 直流直巻電動機
日立製作所
HS-836-Urb(1630 rpm)
主電動機出力 120 kw
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 5.60
出力 480 kw
編成出力 960 kw
制御方式 抵抗制御
制動装置 空気ブレーキ発電ブレーキ(電空併用ブレーキ)
保安装置 デッドマン装置
備考 数値はKL3-76形に基づく[10][11]
テンプレートを表示

1976年から1984年まで4次に渡って製造が行われた形式。編成は4両編成で内訳は制御車(Tc)+電動車(M1)+電動車(M2)+制御車(Tc)[注釈 2]となっており、2編成を連結した8両編成も組成可能である。車体は普通鋼製で、インドネシア独自の建築限界に抵触しないよう窓上寸法の小さな蒲鉾型の屋根となっている。扉はインドネシア初の自動両開き扉が採用され、最初に製造されたKL3-76形のみ片側2扉で位置もプラットフォームの高さに合わせた低床式になっている一方、それ以降の車両については片側3扉となっており、位置も可動式ステップが付いた高床式に変更されている。

また、製造当初の前面は日本国有鉄道103系電車に類似した3枚窓であったが後に2枚窓に改造され、追っていたずらによる投石[注釈 3]のからの保護のための金網が設置された。

車体の基本的な構造は同時に製造されたMCW301形・302形気動車と同一であり、保守の簡易化が図られている[12][13][14]

車内は通勤・近郊双方に適した構造となっており、座席配置はセミクロスシート。冷房装置は搭載されていないため天井には扇風機が、屋根上にはガーランド形通風機が設置されている。集電装置(パンタグラフ)は日本国有鉄道PS16に準じたものだが、架線位置が高い箇所に合わせ上昇限度は高めに設計されている[15]

台車は日本車輌製造が本形式以前の1950年代から1960年代にかけて製造したインドネシア国鉄向け客車に採用されたNT-11形台車を基に、独自の建築限界や不安定な軌道条件を考慮した設計になっているほか、ブレーキ装置の構造の単純化など保守の簡易化も図られている。電気機器についてもオランダから独立した後のインドネシアにおける初の本格的な電車という事を踏まえ、保守・点検の簡易化や熱帯気候下においての運転に適した設計となっている。制御方式は抵抗制御方式を採用しており、電動車(M1)に主抵抗器が設置されている一方、電動車(M2)には電動発電機が搭載されている[16]

KL3-86/87形

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インドネシア国鉄ED101系電車
"Rheostatik Stainless Steel"
KL3-86/87形
基本情報
運用者 インドネシア国鉄→PT Kereta Api→PT KAI Commuter Jabotabek
製造所 車体・台枠・外装部品
日本車輌製造
川崎重工業
電気機器
日立製作所
内装部品・艤装
インダストリ・クレタ・アピ
製造年 1986年 - 1987年
製造数 20両(4両編成5本、1986年)
20両(4両編成5本、1987年)
運用開始 1986年
運用終了 2013年7月24日
投入先 KRLコミューターライン
主要諸元
編成 4両編成(Tc+M1+M2+Tc)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
設計最高速度 100 km/h
車両定員 127人(座席47人)(Tc)
149人(座席82人)(M1、M2)
自重 32.0 t(Tc)
39.0 t(M1、M2)
全長 20,000 mm
全幅 2,990 mm
全高 3,620 mm
床面高さ 1,202 mm
台車 NT40(Tc)
ND112(M1、M2)
車輪径 860 mm
発電機 HS-544Gr
主電動機 HS-836-Urb(1630 rpm)
主電動機出力 120 kw
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 5.60
出力 480 kw
編成出力 960 kw
制御方式 抵抗制御
制動装置 空気ブレーキ発電ブレーキ(電空併用ブレーキ)
保安装置 デッドマン装置
備考 数値はKL3-86形に基づく[10][11]
テンプレートを表示

1986年から1987年にかけ2次に渡って製造された車両はそれまでの鋼製車体からオールステンレス車体に改められ、前面デザインも「く」の字形の流線形となりイメージアップが図られている。車内の座席配置も多数の乗客を輸送すると言う観点から先頭車(Tc)はロングシートに改められ、運転台側には大型荷物棚が設置されている。一方で台車や電気機器、制御装置などはKL3-76/78/83/84形と同一構造であり編成同士の連結運転も可能である[注釈 4][17][18]

また、それまでの車両は全ての部品が日本製であり製造も日本国内で行われていたが、KL3-86/87形以降はインドネシアにおける鉄道車両製造技術の向上のため車内など各所にインドネシア国産部品が用いられている他、車両についても未完成の状態で輸出された後現地で部品を組み合わせ完成させると言う方法に変更されている。それに伴い、KL3-76/78/83/84形の座席に採用されていたクッションが廃止されベニヤ板を用いたものに変更されている[19]

車内は鋼製車両同様非冷房だが、1992年頃にKL3-86形の一部編成の制御(Tc)車に対して一時的に冷房装置が搭載され、同時に座席も制御(Tc)車は回転クロス式に、電動(M1, M2)車は転換クロス式のものへ交換され、ジャカルタ・コタ=ボゴール間の急行列車「パクアン・エクスプレス(Pakuan ekspres、Pakuanはボゴールの古称)」に使用されていた[20][21]

運用

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1976年以降6次に渡って導入された一連の"Rheostatics"電車はジャカルタ都市圏の通勤・近郊列車として活躍し、使用路線の運営権がインドネシア鉄道公社を経て民営企業に移管して以降も主力として用いられた。1992年以降に導入された電車は制御方式がVVVFインバータ制御に変更されたが多くの車両で故障が相次いだ事や、それらの車両と比べ修理用の部品調達が容易であった事がその理由である[5]

2009年以降は一部の鋼製車両に更新工事が行われ、4両編成から6両編成への変更、電源装置の静止形インバータへの交換、流線形の前面など各種改造が実施された。これらの編成には"Djoko Lelono"、"Marcopolo"の愛称が付けられた[22]

2000年に無償譲渡された都営6000形電車を始めとした冷房車が導入された以降はすべての車両がエコノミークラス(Ekonomi)として運行していたが、末期は乗降扉を開け放したまま走行し、運賃の安さから混雑時には車両側面や屋根の上にまで乗客が溢れるという安全性や快適性に難がある状態となっていた。そして2013年7月にコミューターラインの運賃体系変更により全列車が冷房完備になった事で、同年の7月24日をもって他の非冷房編成と共に営業運転から引退した[13][23][24][5]

関連形式

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脚注

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注釈

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  1. ^ 日本語で「抵抗制御」と言う意味。英語のrheostat/rheostaticと同義。
  2. ^ 製造当初は電動車(M1、M2)に"MCW500形"、制御車(Tc)に"VCW800形"という形式名が付けられていた
  3. ^ 1990年代より目立つようになった行為。インドネシア鉄道会社の調査によると、多くは線路の近くで遊ぶ男子によるもので、それらは乗客に対するものではなく、単に好奇心から行っているものだといわれる。しかし、当然ながら投げられた石が窓を破って運転士や乗客を直撃するなどの問題が生まれ、対策が必要となった。本形式の場合、当初は窓ガラスを小さくして石が当たる範囲を狭くする措置が取られたが、のちに大きな窓ガラスに金網を設置する措置へ変更されている。
  4. ^ 1993年に列車衝突事故に遭った編成のうち、廃車とならず残った2両ずつを組み合わせた、KL3-84形(鋼製車両)とKL3-86/87形(ステンレス車両)による混結編成も存在した。

出典

[編集]
  1. ^ a b 平井喜八郎 1977, p. 42.
  2. ^ 川島隆男、菅沼千尋、初鹿野強 1986, p. 70.
  3. ^ 古賀俊行 2014, p. 66-67.
  4. ^ a b c d New Electric Railcar Series KL3-97 for Jabotabek - ウェイバックマシン(2001年3月1日アーカイブ分)
  5. ^ a b c 国際協力機構 (2010年12月). “インドネシアにおけるJICA事業の足跡に関する情報収集・確認調査最終報告書(詳細版)”. pp. 85-86. 2019年6月13日閲覧。
  6. ^ 国土交通省 2008, p. 25.
  7. ^ 藤井大輔 2014, p. 108.
  8. ^ KRL – Commuterline Indonesia All About KRL EKONOMI”. 2019年6月13日閲覧。
  9. ^ laporan kecelakaan kereta api” (PDF). KNKT (2005年4月). 2019年6月13日閲覧。
  10. ^ a b 平井喜八郎 1977, p. 43.
  11. ^ a b 川島隆男、菅沼千尋、初鹿野強 1986, p. 71.
  12. ^ 平井喜八郎 1977, p. 42-46.
  13. ^ a b 古賀俊行 2014, p. 66.
  14. ^ All About KRL EKONOMI” (2014年10月24日). 2019年6月13日閲覧。
  15. ^ 平井喜八郎 1977, p. 46.
  16. ^ 平井喜八郎 1977, p. 46-50.
  17. ^ 川島隆男、菅沼千尋、初鹿野強 1986, p. 70-74.
  18. ^ EFEKTIFITAS TEKNIS DAN EFEKTIFITAS PELAYANAN PELAKSANAAN PUBLIC SERVICE OBLIGATION (PSO) KERETA API KELAS EKONOMI ANGKUTAN PERKOTAAN” (2013年11月). 2019年6月13日閲覧。
  19. ^ 川島隆男、菅沼千尋、初鹿野強 1986, p. 70-72.
  20. ^ 古賀俊行 2014, p. 67.
  21. ^ KRL-KRL yang Menjadi Pelopor di Jabodetabek - Railway Enthusiast Digest - 2016年3月19日作成・2022年9月27日閲覧
  22. ^ KRL RHEOSTATIK DJOKO LELONO 1” (2010年11月). 2019年6月13日閲覧。
  23. ^ 国際協力機構 2010, p. 10.
  24. ^ 藤井大輔 2014, p. 109.

参考資料

[編集]
  • 平井喜八郎「インドネシヤ向電動客車およびディゼル動車の概要」『車両技術 135号』、日本鉄道車輌工業会、1977年2月、42-53頁、ISSN 0559-7471 
  • 川島隆男、菅沼千尋、初鹿野強「インドネシア国鉄向け近郊形電車」『車両技術 175号』、日本鉄道車輌工業会、1986年6月、70-79頁、ISSN 0559-7471 
  • 家田仁、溝上章志、城所哲夫、岩倉成志 (2003年2月). “ジャボタベック圏鉄道網総合インパクト評価 - JICA” (PDF). 国際協力機構. 2019年6月13日閲覧。
  • 国土交通省 (2008年4月). “インドネシア(平成20年4月版)” (PDF). 2019年6月13日閲覧。
  • 国際協力機構 (2010年12月). “ジャボタベック鉄道を交通の大動脈に インドネシア” (PDF). 2019年6月13日閲覧。
  • 藤井大輔「ジャボデタベック圏での公共交通の現状と課題」(PDF)『交通技術』第74巻第1号、交通経済研究所、2014年1月、105-115頁、2019年6月13日閲覧 
  • 古賀俊行『インドネシア鉄道の旅 魅惑のトレイン・ワールド』潮書房光人社、2014年7月。ISBN 978-4-7698-1573-0