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ジャニス・ルール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャニス・ルール
Janice Rule
Janice Rule
1973年にゲスト出演した『名探偵ジョーンズ』のプレス用写真
本名 Mary Janice Rule
生年月日 (1931-08-15) 1931年8月15日
没年月日 (2003-10-17) 2003年10月17日(72歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州ノーウッド英語版
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市マンハッタン
職業 女優心理療法士
活動期間 1951年 - 1992年
配偶者 N・リチャード・ナッシュ英語版(1956年-1956年、離婚)
ロバート・ソム英語版(1956年-1961年、離婚、子供1人)
ベン・ギャザラ(1961年-1979年、離婚、子供1人)
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ジャニス・ルール(Janice Rule、1931年8月15日 - 2003年10月17日)は、アメリカ合衆国女優。「憤慨する神経過敏な社交界の名士を最高の説得力をもって演じた[1]。」

来歴

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オハイオ州ノーウッド英語版シンシナティ郊外)でアイルランド人の血をひく両親のもとに生まれる[2]。父親は工業用ダイヤモンドのディーラーであった[3]

15歳の時にバレエのレッスン代を捻出するためにシカゴのナイトクラブ「シェ・パリー」でダンサーを始め[2]、1949年にはブロードウェイのミス・リバティプロダクションのダンサーとなった[1]。またシカゴのプロフェッショナル・スクールで演技も学んだ[3]

1951年1月8日、エンターテインメント業界で注目の人物としてライフ誌の表紙に掲載された[4]ワーナー・ブラザースとの契約により、ジョーン・クロフォード主演の映画『Goodbye, My Fancy』(1951年)のヴァージニア・メリル役で初クレジットされた。押しも押されもせぬ大スターのクロフォードは若手女優を軽視し、この作品におけるルールの仕事を困難にさせたが、数年後クロフォードはルール宛てにぞんざいに扱ったことを謝罪する手紙を書いた[1][5]。ワーナーとの契約は僅か2本の映画出演の後に解消された[6]。彼女は1950年代初頭の映画スタジオにおける女性の美に対する姿勢に悩まされていた。報道によると彼女は1957年に「私は自分の個性を奪われるのが怖かったので、メイクアップや理髪師と戦っていて、宣伝部の悩みを理解していませんでした。」と語った[7]

1953年、ウィリアム・インジの『ピクニック英語版』ブロードウェイ初演で無垢な美女マッジ・オウエンス役を務めた(1955年の映画版ではキム・ノヴァクが演じた)[6]ポール・ニューマンのブロードウェイデビュー作でもあった。この舞台に打ち込んでいたため、『波止場』(1954年)でエヴァ・マリー・セイントが演じたイディ役を辞退した。ヘッダ・ホッパーは1966年のロサンゼルス・タイムズ紙で「私は一日中映画を撮ることもできず、夜の舞台を務めることもできず、両方で最善を尽くすことができないことが分かっていました」と言う彼女の言葉を引用している[7]。出演した他のブロードウェイの舞台には『The Flowering Peach』、『The Happiest Girl in the World』、マイケル・V・ガッツォの『Night Circus』がある。1958年上演の『Night Circus』は1週しか続かなかったが[8]、3人目の夫となるベン・ギャザラと出会う[6]

1950年代出演した映画には、『A Woman's Devotion』(1956年)、西部劇『西部の三人兄弟英語版』(1957年)、魔女ギリアン・ホロイド(キム・ノヴァク)の魔法により出版者である婚約者シェパード・ヘンダーソン(ジェームズ・ステュアート)を失う女性マール・キットリッジを演じた『媚薬』(1958年)などがある。テレビでは、西部劇ドラマ『西部のパラディン英語版』でリチャード・ブーンのデビューエピソードでもある「Three Bells to Perdido」(1957年)で主要な役ナンシー・リードを務めた。『チェックメイト』のエピソード「The Mask of Vengeance」(1960年)に出演し、クロリス・リーチマン演じるマリリン・パーカーのルームメイトであるエレナ・ナルドスを演じた。また『トワイライト・ゾーン』のエピソード「灰色の影」(1960年、原題: Nightmare as a Child)にも出演。『ルート66』では3つのエピソードに異なる役で登場。デビッド・ジャンセン主演の『逃亡者』では「再び片腕の男」(1966年、原題: Wife Killer)と「夜は壁の中に」(1967年、原題: The Walls of Night)の2つのエピソードで、バーバラ・ウェッブとバーバラ・ウェルズの2つの役を演じた。1964年、ユル・ブリンナーと2度目の共演となる西部劇映画『ガンファイトへの招待』に主演した。

その後の映画で演じた役は、『逃亡地帯』(1966年)のエミリー・スチュワート、『サイレンサー/待伏部隊』(1967年)で悪役の磁気銃によって楽し気に服を脱がされるシーラ・ソマーズ、『泳ぐひと』(1968年)ではバート・ランカスターにつれなくする元恋人、ロバート・アルトマン監督の『三人の女英語版』(1977年)のウィリー・ハート、コスタ=ガヴラス監督の政治スリラー映画『ミッシング』(1982年)でジャーナリストのケイト・ニューマン、『アメリカン・フライヤーズ英語版』(1985年)のケビン・コスナーの母親役、などがある。

私生活

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1956年にファーリー・グレンジャーと短期間婚約していた。彼らは1955年にブロードウェイの舞台『The Carefree Tree』で共演していた。次いでラルフ・ミーカーとの関係が続いた。ミーカーは舞台『ピクニック』でハルを演じていた。

1955年、テレビ・映画の脚本家であるN・リチャード・ナッシュ英語版と短期間結婚した。2度目の結婚は1956年、やはりテレビ・映画の脚本家ロバート・ソム英語版とであった[9]。彼らは1961年に離婚するが、ケイト・ソムという娘が生まれた[10]。最後の夫は1961年に結婚した俳優のベン・ギャザラであった。1982年に離婚するが、エリザベス・ギャザラという娘が生まれた。

1960年代、彼女は精神分析学に興味を持つようになった。1973年に正式に勉強を始め、特に仲間である俳優たちの治療に専念し[2]、10年後にロサンゼルスの南カリフォルニア精神分析センターでPh.D.を取得した。彼女はニューヨークとロサンゼルスで開業し、2003年に脳内出血で死亡するまで時折り治療行為を続けた。死後、亡骸は荼毘に付された[11]

彼女の遺族は、娘であるケイト・ソム・フィッツジェラルドと映画編集者のエリザベス・ギャザラ(共にブルックリン在住)[12]、姉妹であるカリフォルニア州オセアノ英語版のキャスリーン・ルール、カリフォルニア州サンマルコスのアン・ネイダー、ニューメキシコ州ラスクルーセスのエミリー・フォーブス、及び兄弟であるスペインマヨルカ島のラルフが残された。

主な出演作品

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映画
原題 邦題 役名 備考
1951 Fourteen Hours 14時間の恐怖 端役 クレジットされず
Goodbye, My Fancy Virginia Merrill
Starlift Nell Wayne
1952 Holiday for Sinners Susan Corvier
1953 Rogue's March Jane Wensley
1956 A Woman's Devotion Stella Stevenson
1957 Gun for a Coward 西部の三人兄弟 Aud Niven
1958 Bell, Book and Candle 媚薬 Merle Kittridge
1960 The Subterraneans 地下街の住人 Roxanne
1964 Invitation to a Gunfighter ガンファイトへの招待 Ruth Adams
1966 The Chase 逃亡地帯 Emily Stewart
Alvarez Kelly アルバレス・ケリー Liz Pickering
1967 Welcome to Hard Times Molly Riordan
The Ambushers サイレンサー/待伏部隊 Liz Pickering
1968 The Swimmer 泳ぐひと Shirley Abbott
1971 Doctors' Wives Amy Brennan
Gumshoe Mrs. Blankerscoon
1973 Kid Blue おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗 Janet Conforto
1977 3 Women 三人の女 Willie Hart
1982 Missing ミッシング Kate Newman
1985 American Flyers アメリカン・フライヤーズ Mrs. Sommers
Rainy Day Friends Elaine
テレビ
原題 邦題 役名 備考
1954 General Foods 25th Anniversary Show Jenny Brinker
1955 Appointment with Adventure 1エピソード
1957 Wagon Train 幌馬車隊 Maggie Thomas 1エピソード
Have Gun – Will Travel 西部のパラディン Nancy 1エピソード
1959 The Twilight Zone トワイライトゾーン Helen Foley 1エピソード
1961-63 Route 66 ルート66 Charlotte Duval
Prudie Adams
Sidney Brookes
3エピソード
1966-67 The Fugitive 逃亡者 Barbara Webb
Barbara Wells
2エピソード
1968 Journey to the Unknown Paula Wilde 1エピソード
Shadow on the Land 戦慄の第四帝国 Capt. Everett テレビ映画
1969 Trial Run Lucille Harkness テレビ映画
1971 The Devil and Miss Sarah Sarah Turner テレビ映画
1972 The Streets of San Francisco サンフランシスコ捜査線 Beverly Landau 1エピソード
1973 Barnaby Jones 名探偵ジョーンズ Diane Stewart 1エピソード
1978 The Word Barbara Randall 4エピソード(ミニシリーズ)
1992 The Ray Bradbury Theater レイ・ブラッドベリSFシアター Anna (age 60) 1エピソード(最後の出演作)

脚注

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  1. ^ a b c Obituary: Janice Rule”. Daily Telegraph (London) (2003年10月24日). 2020年6月30日閲覧。
  2. ^ a b c Ann Guerin (1976年6月28日). “If Ben Gazzara Gets Hung Up, the Analyst Is Always In: It's His Wife, Janice Rule”. People (magazine). 2020年6月30日閲覧。
  3. ^ a b Kenneth Jones (2003年10月22日). “Janice Rule, of Broadway's Picnic, Dead at 72”. Playbill. 2016年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月30日閲覧。
  4. ^ Ben Sisario (2003年10月22日). “Janice Rule, 72, Film Actress Who Became a Psychoanalyst”. New York Times. 2020年6月30日閲覧。
  5. ^ For a summary of various accounts, see Lawrence J. Quirk and William Schoell Joan Crawford: The Essential Biography, Lexington: The University Press of Kentucky, 2002, p. 157-158
  6. ^ a b c Ronald Bergan (2003年10月23日). “Obituary: Janice Rule”. The Guardian. 2020年6月30日閲覧。
  7. ^ a b Mary Rourke (2003年10月24日). “Janice Rule, 72; Broadway Dancer, 'Picnic' Actress Also Was in Films”. Los Angeles Times. 2020年6月30日閲覧。
  8. ^ The Night Circus @ John Golden Theatre”. Playbill. Playbill, Inc.. 2020年6月30日閲覧。
  9. ^ Cook, Joan (1979年5月12日). “Robert Thom, Writer Of Plays, Screenplays, Novels and Poems, 49”. The New York Times: p. 6. https://www.nytimes.com/1979/05/12/archives/robert-thom-writer-of-plays-screenplays-novels-and-poems-49-worked.html 
  10. ^ “Obituaries: Janice Rule, Actress turned Psychologist”. The Independent. (2003年10月30日). https://www.independent.co.uk/news/obituaries/janice-rule-37372.html 2020年6月30日閲覧。 
  11. ^ Wilson, Scott (August 19, 2016). “Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3d ed.”. McFarland. 2020年6月27日閲覧。
  12. ^ Obituary”. Guardian.com. 2020年6月30日閲覧。

外部リンク

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