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ジャック・ピアース (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャック・ピアース
Jack Pierce
1978年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミシシッピ州
生年月日 (1948-06-02) 1948年6月2日
没年月日 (2012-09-13) 2012年9月13日(64歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1970年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB/1973年4月27日
最終出場 MLB/1975年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラバーン・ジャック・ピアースLavern Jack Pierce1948年6月2日 - 2012年9月13日)は、ミシシッピ州出身のプロ野球選手一塁手)。

経歴

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1968年1969年の全米ドラフトにおいて、それぞれ9巡目でニューヨーク・ヤンキース、3巡目でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが契約に至らなかった。1970年に2巡目でブレーブスから再び指名を受けて入団。同年はルーキーアドバンスドクラスのパイオニアリーグで打率.281、9本塁打の成績を残す。翌1971年はAのカロライナリーグで20本、1972年はAAのサザンリーグで23本の本塁打をそれぞれ放っている[1]

1973年に初めてメジャーリーグ昇格を果たしたが、同年と翌1974年はともに1安打に終わった。1975年3月29日レジー・サンダースとのトレードデトロイト・タイガースに移籍。同年はメジャーで8本塁打を記録している。

1976年メキシカンリーグで36本塁打を放って同リーグの本塁打王となり、長打力を評価した南海ホークスのオファーを受けて12月17日に入団が発表された[2]オープン戦では左翼手としても起用されたが守備に難があり[3]、シーズン中は主に一塁手を務めて13本塁打を記録した。10月5日に残留が発表された[4]が、翌年の春季キャンプで広瀬叔功新監督の構想から外れて帰国。AAAのパシフィックコーストリーグで翌1979年までプレーし、1980年から1987年までは再びメキシカンリーグに所属していた。1987年で現役を引退している[5]

2012年9月13日、心臓発作のために死去[6]。64歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1973 ATL 11 21 20 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 8 0 .050 .095 .050 .145
1974 6 10 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .111 .200 .111 .311
1975 DET 53 194 170 19 40 6 1 8 72 22 0 0 0 2 20 1 2 40 2 .235 .320 .424 .743
1977 南海 95 328 291 30 66 9 1 13 116 39 1 1 0 4 23 1 10 61 7 .227 .302 .399 .701
MLB通算:3年 70 225 199 20 42 6 1 8 74 22 0 0 0 2 22 1 2 48 2 .211 .293 .372 .665
NPB:1年 95 328 291 30 66 9 1 13 116 39 1 1 0 4 23 1 10 61 7 .227 .302 .399 .701

背番号

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  • 18(1973年 - 1974年)
  • 27(1975年)
  • 4(1977年)

脚注

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  1. ^ baseball reference
  2. ^ 読売新聞、1976年12月18日付朝刊、P.15
  3. ^ 読売新聞、1977年3月7日付朝刊、P.17
  4. ^ 読売新聞、1977年10月6日付朝刊、P.17
  5. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=pierce001lav
  6. ^ Fallece Jack Pierce, inmortal béisbol mexicano ESPN 2012年9月15日閲覧

関連項目

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外部リンク

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