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ジャクラパン・ケオプロム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャクラパン・ケオプロム
名前
ラテン文字 Jakkraphan Kaewprom
タイ語 จักรพันธ์ แก้วพรม
基本情報
国籍 タイ王国の旗 タイ
生年月日 (1988-05-24) 1988年5月24日(36歳)
出身地 タイ王国の旗 ブリーラム県
身長 169cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム タイ王国の旗 ラーチャブリーFC
ポジション MF
背番号 10
代表歴
2008-2022 タイ王国の旗 タイ 21 (2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャクラパン・ケオプロム: จักรพันธ์ แก้วพรม、1988年5月24日 - )は、タイ王国ブリーラム県出身のサッカー選手ポジションミッドフィールダー(MF)。

来歴

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BECテロ・サーサナFCでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートした。当時のBECテロ・サーサナはセントラル・ミッドフィールダーの選手が多かったため、右ミッドフィールダーや右サイドバックのポジションにコンバートされた。

2010年、ムアントン・ユナイテッドFCに移籍した。ムアントン・ユナイテッドで非常にいいプレーを見せ、2010シーズンのタイ・プレミアリーグ優勝に貢献した。

2011年、生まれ故郷のブリーラム県のクラブであるブリーラム・ユナイテッドFCに移籍した。ブリーラム・ユナイテッドの主力の一人となり、2011年の3冠達成(プレミアリーグ、FAカップリーグカップ)の大きな原動力となった。

2013年は負傷により前半戦を欠場したが、ブリーラム・ユナイテッドと契約延長で合意した。2013シーズン後半戦の第20節チャイナートFCで復帰し、リーグ戦10試合に出場した。AFCチャンピオンズリーグ2013は準々決勝のエステグラルFCとの2戦目に途中出場した。

ランコ・ポポヴィッチ監督の下、ボランチへと再コンバートされ、中心選手として活躍[1]

代表

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2008 AFFスズキカップタイ代表に初招集された。

2011年7月23日、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選2回戦のパレスチナ戦(1-0)で初得点を記録した。同3回戦のオーストラリア戦(1-2)ではティーラシン・デーンダーの先制ゴールをアシストした。

2013年、AFCアジアカップ2015 (予選)メンバーに選出されると、11月15日のイラン戦(0-3)に先発フル出場した。

個人成績

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(2014年4月23日時点)

年度 クラブ 大会 出場 得点
2010 ムアントン・ユナイテッドFC AFCチャンピオンズリーグ 2 1
2010 AFCカップ 10 0
2012 ブリーラム・ユナイテッドFC AFCチャンピオンズリーグ 6 0
2013 1 0
2014 6 0
通算 AFCチャンピオンズリーグ 15 1
AFCカップ 10 0
通算 25 1

所属クラブ

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ユース経歴
シニア経歴

代表歴

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タイトル

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ブリーラム・ユナイテッドFC
ムアントン・ユナイテッドFC
  • タイ・プレミアリーグ 優勝 (1) : 2010

脚注

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  1. ^ 元FC東京監督のポポビッチ氏が警鐘「タイに隙見せたら痛い目に遭う」”. 2017年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月26日閲覧。中日スポーツ (2017年3月24日)

外部リンク

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