ジム・カーティン
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2023年のカーティン | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | ジム・カーティン | |||||
ラテン文字 | Jim Curtin | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1979年6月23日(45歳) | |||||
出身地 | アメリカ合衆国ペンシルベニア州モンゴメリー | |||||
身長 | 193cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1997-2000 | ビラノバ大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2008 | シカゴ・ファイアー | 151 | (4) | |||
2001 | → ミルウォーキー・ランペイジ (loan) | 3 | (0) | |||
2008-2009 | チーヴァス・USA | 21 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2014- | フィラデルフィア・ユニオン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジム・カーティン(Jim Curtin、1979年6月23日 - )は、アメリカ合衆国の元サッカー選手である。現在はMLS・フィラデルフィア・ユニオンの監督である。選手としては、シカゴ・ファイアーで主に活躍した。
選手経歴
[編集]大学まで
[編集]ペンシルベニア州で生まれ育ち、高校卒業後はビラノバ大学に進んだ[1]。大学サッカーで頭角を現し、1年次にビッグ・イースト・カンファレンスの新人賞を受賞し、同連盟の3年次、4年次の選抜メンバーに名を連ねた。
クラブ経歴
[編集]シカゴ・ファイアー
[編集]大学を卒業すると、MLSのシカゴ・ファイアーからドラフト指名を受けた[2]。MLSスーパードラフトの3巡目で指名されるまでのカーティンは、プロとして十分な能力がある素材と思われておらず、またビラノバの無名な選手とも思われていた[3]。
2001年シーズンの第2節、ホームスタジアムであるソルジャー・フィールドでのD.C. ユナイテッドとの試合がデビュー戦となった。シーズン途中でUSL・Aリーグのミルウォーキー・ランペイジのプレーオフのためにレンタル移籍をした。ルーキーイヤーは12試合出場、1194分の出場だった[4]。
2年目のシーズンは、22試合の出場。3年目の2003年には全試合での出場、カルロス・ボカネグラとともに守備を支えた。ファイアー在籍の期間中、200試合以上の出場をし、2003年と2006年のUSオープンカップ制覇に貢献した。また、2004年のMLSオールスターゲームに選出された[1]。
チーヴァス・USA
[編集]2008年2月、スーパードラフトでチーヴァス・USAにトレードとなった。2シーズンを同チームで過ごした後の2010年1月、戦力外となった[5]。
指導者経歴
[編集]フィラデルフィア・ユニオン
[編集]チーヴァスを退団した後、フィラデルフィアへと戻り、新設されたフィラデルフィア・ユニオンのアカデミーコーチに2010年6月に就任した[6]。2012年11月には、ジョン・ハックワース率いるトップチームのアシスタントコーチとなった[7]。
2014年、シーズン途中で、成績が振るわなかった監督のハックワースが解任となり、次期監督が決まるまでの暫定として、チームを指揮した[8]。クラブはカーティンのもと、方向転換を図り、残りの16試合を5敗しか喫することなく、また、USオープンカップではシアトル・サウンダーズに敗れたものの、延長戦の末の準優勝という好結果を得た。これらの好成績により、同年11月にクラブより正式に監督就任の発表がされた[9]。
翌2015年のシーズンは、リーグ戦こそ芳しくない結果ではあったが、前年に続いてのUSオープンカップ準優勝に終わった。ホーム開催でのスポルティング・カンザスシティ戦が決勝戦であったが、PK戦での敗戦となった。
このシーズンの終盤に、クラブはアーニー・スチュワートをスポーツディレクターとして迎え入れ、チームの立て直しに取り組み始めた。翌2016年シーズンは、2011年以来の決勝プレーオフへの進出で、形となって表れた。
クラブは、このシーズンの成功を受けて望みを託したが、2017年はプレーオフ進出を逃した。しかし、クラブ側より、カーティンが翌年も同様にチームを率いることを発表した[10]。
2019年は、イースタン・カンファレンスで一時首位に立つなど、クラブの最高順位を残した。この結果により、さらに2年契約にサインし、2021年までの監督契約となっている[11]。
監督成績
[編集]- 2019年7月21日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||||
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試合 | 勝 | 分 | 負 | 勝率 % | |||||
フィラデルフィア・ユニオン | 2014年 | 現在 | 196 | 80 | 40 | 76 | 40.82 | ||
合計 | 196 | 80 | 40 | 76 | 40.82 |
獲得タイトル
[編集]選手として
[編集]シカゴ・ファイアー
[編集]- MLSサポーターズ・シールド(1回): 2003
- USオープンカップ(2回): 2003, 2006
監督として
[編集]フィラデルフィア・ユニオン
[編集]- MLSサポーターズ・シールド(1回): 2020
- USオープンカップ準優勝 (3回): 2014, 2015, 2018
脚注
[編集]- ^ a b “Jim Curtin | Villanova Men's Soccer”. villanova.com. 14 January 2018閲覧。
- ^ “Chicago Fire Draft History”. Chicago-fire.com. 14 January 2018閲覧。
- ^ Chris Blakely (August 25, 2014). “Philadelphia Union: Jim Curtin Should Have Interim Tag Removed”. stoppagetimesoccer.com. 14 January 2018閲覧。
- ^ “Jim Curtin | MLS Player Statistics”. MLSsoccer.com. 14 January 2018閲覧。
- ^ “Chivas USA Changes Date of Season Opener, Waives two”. insidesocal.com. May 29, 2015閲覧。
- ^ “Jim Curtin Philadelphia Union Profile”. Philadelphia Union. January 14, 2018閲覧。
- ^ “Jim Curtin signed as club's third assistant coach”. Philadelphia Union. May 29, 2015閲覧。
- ^ Jonathan Tannenwald (June 10, 2014). “Philadelphia Union manager John Hackworth fired”. The Inquirer. January 14, 2018閲覧。
- ^ “Report: Philadelphia Union remove interim tag from Jim Curtin's title following team's turnaround”. MLSsoccer.com (2014年9月24日). May 29, 2015閲覧。
- ^ Jacob Born (November 2, 2017). “Jim Curtin looking ahead to 2018”. philadelphiaunion.com. January 14, 2018閲覧。
- ^ Tom Bogert (July 10, 2019). “Philadelphia Union, Jim Curtin agree to multi-year contract extension”. MLSsoccer.com. July 10, 2019閲覧。