ジェームズ・セシル (第6代ソールズベリー伯爵)
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第6代ソールズベリー伯爵ジェームズ・セシル(英語: James Cecil, 6th Earl of Salisbury、1713年10月20日 – 1780年9月19日)は、イギリスの貴族。1713年から1728年までクランボーン子爵の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]第5代ソールズベリー伯爵ジェームズ・セシルとアン・タフトン(1757年3月22日没、第6代サネット伯爵トマス・タフトンの娘)の長男として、1713年10月20日に生まれた[1]。ウェストミンスター・スクールで教育を受け[2]、1728年10月9日に父が死去すると、ソールズベリー伯爵の爵位を継承した[1]。
1735年から1780年までハートフォード家令(High Steward of Hertford)を務めた[2]。
1739年に捨子養育院が創設されたとき、理事の1人を務めた[3]。
1745年3月28日、エリザベス・キート(Elizabeth Keet、1776年2月3日没、エドワード・キートの娘)と結婚、1男2女をもうけた[1][4]。2人の娘とも生涯未婚だった[1]。
- アン(1746年3月 – 1813年6月12日)
- ベネット(1747年6月 – 1769年11月18日)
- ジェームズ(1748年9月4日 – 1823年6月13日) - 第7代ソールズベリー伯爵、後に初代ソールズベリー侯爵に叙爵
1780年9月19日に死去、息子ジェームズが爵位を継承した[1]。1780年9月23日に埋葬された[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1775.
- ^ a b c Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 42.
- ^ A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children (英語). p. 4.
- ^ "Salisbury, Earl of (E, 1605)". Cracroft's Peerage (英語). 6 February 2007. 2020年11月16日閲覧。
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ソールズベリー伯爵 1728年 – 1780年 |
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