ジェームズ・オグルヴィ (第6代フィンドレイター伯爵)
第6代フィンドレイター伯爵および第3代シーフィールド伯爵ジェームズ・オグルヴィ(James Ogilvy, 6th Earl of Findlater and 3rd Earl of Seafield、1714年ごろ – 1770年11月3日)は、スコットランド貴族。1730年から1764年までデスクフォード卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第5代フィンドレイター伯爵および第2代シーフィールド伯爵ジェームズ・オグルヴィと1人目の妻エリザベス(第7代キノール伯爵トマス・ヘイの娘)の息子として、1714年ごろに生まれた[1]。
青年期に大陸ヨーロッパを旅して、1740年までにホレス・ウォルポールと知り合った[1][2]。
製造業と農業の発展に興味を示し、1752年にデスクフォードで大型の漂白場を作り、カレンでリネンとダマスク織工場を設立した[2]。バンフシャーの農業発展にも力を入れ、カブを使用した輪栽式農業を導入した[2]。また特定の改良農法の採用に同意し、農地の囲い込みを行った場合、借地契約を長期にすることに同意した[3]。
1754年から1761年までスコットランド関税委員(Commissioner of Customs)、1765年から1770年までスコットランド警察卿(Lord of Police)を務めた[1]。
1764年7月9日に父が死去すると、フィンドレイター伯爵位とシーフィールド伯爵位を継承した[1]。
1770年11月3日にカレン・ハウスで自殺、カレンで埋葬された[1]。息子ジェームズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1749年6月9日、メアリー・マレー(Mary Murray、1720年3月3日 – 1795年12月29日、初代アソル公爵ジョン・マレーの娘)と結婚[1]、2男をもうけた[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 383–384.
- ^ a b c Henderson, Thomas Finlayson (1895). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 42. London: Smith, Elder & Co. p. 31.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson; Baker, Anne Pimlott (23 September 2004). "Ogilvy, James, sixth earl of Findlater and third earl of Seafield". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/20599。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b Paul, James Balfour, Sir, ed. (1907). The Scots Peerage (英語). Vol. IV. Edinburgh: David Douglas. pp. 39–40.
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジェームズ・オグルヴィ |
フィンドレイター伯爵 1764年 – 1770年 |
次代 ジェームズ・オグルヴィ |
シーフィールド伯爵 1764年 – 1770年 |