ジェームズ・アストン (第5代フォーファーのアストン卿)
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第5代フォーファーのアストン卿ジェームズ・アストン(英語: James Aston, 5th Lord Aston of Forfar、1723年5月23日 – 1751年8月24日)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]第4代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストンとメアリー・ハワード(Mary Howard、1723年5月23日没、トマス・ハワードの娘)の息子として、1723年5月23日に生まれた[1]。
1742年6月30日、バーバラ・タルボット(Barbara Talbot、1759年11月9日没、ジョージ・タルボットの娘)と結婚[1]、2女をもうけた[2]。
- メアリー(1743年8月14日 – 1805年1月30日) - 1766年9月21日、第6代準男爵ウォルター・ブラウントと結婚、子供あり。1805年に火事により事故死
- バーバラ(1744年9月4日 – 1786年8月2日) - 1762年2月2日、トマス・クリフォード(Thomas Clifford、1732年8月22日 – 1787年7月16日、第3代クリフォード男爵ヒュー・クリフォードの次男)と結婚、子供あり
1748年4月4日に父が死去すると、フォーファーのアストン卿の爵位を継承したが、カトリック刑罰法(penal laws)により蟄居を余儀なくされたという[1]。
1751年8月24日、天然痘によりティクソルで死去した[1]。イングランドの準男爵位は断絶したが、フォーファーのアストン卿の爵位については異説もあった[1][2]。すなわち、第6代フォーファーのアストン卿はフィリップ・アストン(1709年8月3日 – 1755年4月29日、初代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストンの叔父ウィリアムの子孫)が名乗ったが、『完全貴族名鑑』では正しい継承者が初代卿の叔父ロバートの子孫であるウィリアム(1747年4月8日 – 1769年2月)とした[1][2]。2人とも初代卿の叔父の子孫だったが、ロバート(1623年没)がウィリアム(1555年頃 – 1628年5月6日)より年上であるため、ロバートの子孫の優先順位が上であるという[1][2]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 287–288.
- ^ a b c d "Aston of Forfar, Lord (S, 1627 - dormant 1751)". Cracroft's Peerage (英語). 15 July 2009. 2019年9月8日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ウォルター・アストン |
フォーファーのアストン卿 1748年 – 1751年 |
次代 フィリップ・アストン |
イングランドの準男爵 | ||
先代 ウォルター・アストン |
(ティクソルの)準男爵 1748年 – 1751年 |
断絶 |