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ジェームズ・アストン (第5代フォーファーのアストン卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第5代フォーファーのアストン卿ジェームズ・アストン英語: James Aston, 5th Lord Aston of Forfar1723年5月23日1751年8月24日)は、スコットランド貴族

生涯

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第4代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストンとメアリー・ハワード(Mary Howard、1723年5月23日没、トマス・ハワードの娘)の息子として、1723年5月23日に生まれた[1]

1742年6月30日、バーバラ・タルボット(Barbara Talbot、1759年11月9日没、ジョージ・タルボットの娘)と結婚[1]、2女をもうけた[2]

1748年4月4日に父が死去すると、フォーファーのアストン卿の爵位を継承したが、カトリック刑罰法(penal laws)により蟄居を余儀なくされたという[1]

1751年8月24日、天然痘によりティクソル英語版で死去した[1]。イングランドの準男爵位は断絶したが、フォーファーのアストン卿の爵位については異説もあった[1][2]。すなわち、第6代フォーファーのアストン卿はフィリップ・アストン英語版(1709年8月3日 – 1755年4月29日、初代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストン英語版の叔父ウィリアムの子孫)が名乗ったが、『完全貴族名鑑』では正しい継承者が初代卿の叔父ロバートの子孫であるウィリアム(1747年4月8日 – 1769年2月)とした[1][2]。2人とも初代卿の叔父の子孫だったが、ロバート(1623年没)がウィリアム(1555年頃 – 1628年5月6日)より年上であるため、ロバートの子孫の優先順位が上であるという[1][2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 287–288.
  2. ^ a b c d "Aston of Forfar, Lord (S, 1627 - dormant 1751)". Cracroft's Peerage (英語). 15 July 2009. 2019年9月8日閲覧
スコットランドの爵位
先代
ウォルター・アストン
フォーファーのアストン卿
1748年 – 1751年
次代
フィリップ・アストン英語版
イングランドの準男爵
先代
ウォルター・アストン
(ティクソルの)準男爵英語版
1748年 – 1751年
断絶