ジェームス・チャンス
ジェームス・チャンス James Chance | |
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ジェームス・チャンス(2009年) | |
基本情報 | |
出生名 | ジェームス・シーグフリード |
別名 | ジェームス・ホワイト |
生誕 |
1953年4月20日 アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー |
出身地 | アメリカ合衆国 |
死没 |
2024年6月18日 (71歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク |
ジャンル |
ノー・ウェイヴ パンク・ロック パンク・ジャズ |
活動期間 | 1977年 - |
レーベル |
ZEレコード ROIR |
共同作業者 |
ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ ジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス |
ジェームス・チャンス(James Chance、1953年4月20日 - 2024年6月18日)は、アメリカ出身のサクソフォーン奏者、作曲家、歌手、ピアニスト。ジェームス・ホワイト(James White)名義も使用。ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスやジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズなどのバンドにおいて、ジャズ風の即興演奏やパンク・ロックを組み合わせた演奏を行い、1970年代のノー・ウェイヴにおける主要な人物として知られている[1]。
経歴
[編集]ウィスコンシン州のミルウォーキー出身。ミシガン州立大学 (en)に入学し、その後ウィスコンシン音楽院 (en) に進学。しかし中途で退学し、1976年にニューヨークに移り住んだ[1]。チャンスはそこでフリー・ジャズやノー・ウェイヴといった音楽シーンで活動。短い期間、デヴィッド・マレイのもとで学んだあと、チャンスは即興ジャズやファンクのリズムを混合させた音楽を演奏するバンド、ザ・コントーションズを結成[1]。そのライブでは、チャンスは観客席に度々降りていき、客を散々殴りつけていた[2]とされている。1978年には、ノー・ウェイヴのコンピレーション・アルバム『ノー・ニューヨーク』に、ザ・コントーションズのメンバーとして参加した。
チャンスとコントーションズのメンバーの間に生じた摩擦によって、1979年にコントーションズは解散。コントーションズ名義での唯一のアルバム『バイ』は、チャンスが新プロジェクト、ジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックスを開始したあとに発売された。チャンスのステージや共演ミュージシャンについては、愛人でもあったアニヤ・フィリップス (en、1981年にがんで死去)が最終的に決定していた。なお、ジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス名義でリリースしたアルバム『Sax Maniac』は、フィリップスに献呈されている。
1983年にチャンスはパリに移住し、『James White Presents The Flaming Demonics』をリリース[1]。しかし同じ頃に、チャンスのドラッグ問題が持ち上がり、表舞台から姿を消した[3]。
2001年、チャンスはコントーションズのオリジナル・メンバーと同バンドを再結成し、再び活動を始めた[3]。しかしベースのジョージ・スコットが1980年代にオーバードースで死去していたため、エリック・サンコが代わりに加入した。コントーションズの再結成は期間限定のものであったが、海外で人気の高い音楽フェスである All Tomorrow's Parties に2度参加。2003年には Tiger Style recordsからCD4枚組のBOXセット『Irresistible Impulse』が発売された。
またそれに加えて、2006年から、チャンスはフランスのミュージシャンたちと「ジェームス・チャンス・アンド・レ・コントルシオンズ」名義で活動、2007年4月から5月にかけてと、同年の10月にヨーロッパでライブを行った。
2024年6月18日、ニューヨークで死去[4][5]。71歳没。
ディスコグラフィ
[編集]ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
[編集]- 『バイ』 - Buy (1979年、ZE) ※コントーションズ名義
- 『ライヴ・イン・パリ1980』 - Paris 1980 Live Aux Bains Douches (1980年)
- Live in New York (1981年)
- 『ソウル・エクソシズム』 - Soul Exorcism (1991年)
- Lost Chance (1995年、ROIR)
- Molotov Cocktail Lounge (1996年、Enemy / Zebralution)
- Incorrigible! (2011年)
- The Flesh is Weak (2016年)
ジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス
[編集]- 『オフ・ホワイト』 - Off White (1979年、ZE-Buddah)
- Sax Maniac (1982年、Animal)
- 『メルト・ユアセルフ・ダウン』 - Melt Yourself Down (1986年、Selfish Records) ※日本限定
ジェームス・チャンス・アンド・ピル・ファクトリー
[編集]ジェームス・ホワイツ・フレイミング・デモニックス
[編集]- 『フレイミング・デモニックス』 - James White Presents The Flaming Demonics (1983年、ZE)
ジェームス・チャンス・アンド・ターミナル・シティ
[編集]- The Fix is In (2010年、decade 01 / Interbang)
ソロ
[編集]- James Chance - Chance of A Lifetime: Live in Chicago 2003 (2005年、RUNT)
参加アルバム
[編集]- Various Artists : 『ノー・ニューヨーク』 - No New York (1978年) ※オムニバス。with コントーションズ。
- ブロンディ : 『ノー・エグジット』 - No Exit (1999年、Beyond Records) ※アルトサックスで参加。
- Downtown 81 (1981年) ※映画サウンドトラック
- Various Artists : Medium Cool (1991年) ※チェット・ベイカーのトリビュート盤。アレックス・チルトン、アデル・バーティ、エンジェル・トーセンらと参加[6]。
- Somewhere in the City (1998年)
- TV Party (2005年)
- Watchers : Rabble (2006年、Gern Blandsten)
- Watchers : Vampire Driver (2006年、Gern Blandsten)
- アコースティック・レディランド(en) : Skinny Grin (2006年)
脚注
[編集]- ^ a b c d Strong, Martin C. (1999). The Great Alternative & Indie Discography. Canongate. ISBN 0-86241-913-1
- ^ 『アフター・アワーズ』(2001) p.38
- ^ a b 『アフター・アワーズ』(2001) p.44
- ^ “James Chance, No Wave Icon and Saxophonist of the Contortions, Dies at 71” (英語). Variety (2024年6月19日). 2024年6月19日閲覧。
- ^ "米バンドの伝説的ボーカルが死去、71歳 健康害し体重は43キロまで減少、死因明かされず 観客と度々ケンカ". よろず~ニュース. 株式会社デイリースポーツ. 2024年6月20日. p. 1-2. 2024年6月21日閲覧。
- ^ Palmer, Robert (1991-11-28), “Medium Cool: Imagination - A Chet Baker Tribute”, Rolling Stone (618)
参考文献
[編集]- 『アフター・アワーズ #15 SPECIAL ISSUE』After Hours、2001年。
- 『NO WAVE―ジェームス・チャンスとポストNYパンク』エスクァイアマガジンジャパン、2005年。ISBN 4872950992。