ジェローラマ・オルシーニ
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ジェローラマ・オルシーニ Gerolama Orsini | |
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パルマ公妃 | |
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在位 | 1545年 - 1547年 |
出生 |
1504年 教皇領、ローマ |
死去 |
1590年 パルマ公国、ピアチェンツァ、パラッツォ・ファルネーゼ |
埋葬 | パルマ公国、パルマ、サンタ・マリーア・デッラ・ステッカータ聖堂 |
結婚 | 1519年 ヴァレンターノ |
配偶者 | パルマ公ピエール・ルイージ・ファルネーゼ |
子女 |
アレッサンドロ ヴィットーリア オッターヴィオ ラヌッチョ オラーツィオ |
家名 | オルシーニ家 |
父親 | ロドヴィーコ・オルシーニ |
母親 | ジュリア・コンティ |
ジェローラマ・オルシーニ(Gerolama Orsini, 1504年 - 1590年)は、パルマ公ピエール・ルイージ・ファルネーゼの妻。名前はジローラマ(Girolama Orsini)と表記される場合もある。
生涯
[編集]ロドヴィーコ・オルシーニと妻ジュリア・コンティの娘としてローマに生まれた。後に教皇パウルス3世となるアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の息子ピエール・ルイージと1513年婚約、1519年ヴァレンターノで結婚[1]。
愛のない結婚だったにもかかわらず、ジェローラマは誠実で献身的な妻であり、ピエール・ルイージの不貞行為、暴力、体面を保つための浪費に耐えた[1]。1534年岳父が教皇に選出されると、夫は同年に教会軍総司令官に任命された。さらに1537年カストロ公、1545年パルマ及びピアチェンツァ公に叙爵されたが、1547年暗殺された。
ジェローラマは1590年ピアチェンツァのパラッツォ・ファルネーゼで死去した[1]。遺体はサンタ・マリーア・デッラ・ステッカータ聖堂に葬られた。
夫との間に5人の子があった。
- アレッサンドロ(1520年 - 1589年) - 枢機卿
- ヴィットーリア(1521年 - 1602年) - ウルビーノ公グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレと結婚
- オッターヴィオ(1524年 - 1586年) - パルマ公
- ラヌッチョ(1530年 - 1565年) - 枢機卿
- オラーツィオ(1532年 - 1553年) - カストロ公
脚注
[編集]- ^ a b c van de Pas, Leo. “Gerolama Orsini”. Genealogics.org. 2013年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月25日閲覧。