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ジェリー・ホワイト

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ジェリー・ホワイト
Jerry White
ミネソタ・ツインズコーチ時のホワイト(2009年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州シャーリー
生年月日 (1952-08-23) 1952年8月23日(72歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
164 lb =約74.4 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1970年 ドラフト14巡目
初出場 MLB / 1974年9月16日
NPB / 1984年3月31日
最終出場 MLB / 1986年6月9日
NPB / 1985年8月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ジェローム・カーデル・ホワイトJerome Cardell "Jerry" White, 1952年8月23日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州シャーリー出身の元プロ野球選手外野手)・コーチ

経歴

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モントリオール・エクスポズ時代の1979年ウォーレン・クロマティの控えであった[1]

ドジャースとの1981年のリーグ優勝決定シリーズでは全試合に先発出場し、10月16日の第3戦(オリンピック)ではジェリー・ロイスから決勝本塁打を放つなど活躍したが、決着した同19日の第5戦(オリンピック)では最後の打者となり、チームは敗退。両膝を痛めて、自由契約になったところをアリゾナでキャンプを張っていた西武ライオンズに代理人を通じて売込みがあり、走れて守れる外国人で性格がまじめな点を広岡達朗監督に気に入られテスト生として参加[1]

1984年テリー・ウィットフィールドの後釜として入団し、本来なら登録名はホワイトになるはずであったが、西武の優勝に貢献したテリーもスティーブ・オンティべロスもファーストネームで登録して日本で成功した先例にならい、ジェロームにしようとしたが、本人が愛称の「ジェリー」を選んだ[1]。開幕後しばらくは打撃フォームがバラバラであったが、4月27日阪急戦(西宮)の際に特打ちを行い、フォームを矯正[1]。体重移動がうまくできるようになると、5試合で21打数10安打4本塁打9打点と開眼[1]5月2日日本ハム戦(西武)では5点差を追う7回に満塁で打席に入り、川原昭二の渾身のストレートを完璧に弾き返して来日初の満塁本塁打を放った[1]。9回裏の2死一塁でも川原のカーブをとらえ、逆転サヨナラ2ラン本塁打を放った[1]。完全な負け試合を勝ち、最下位転落の危機を救ったジェリーを西武ナインは手荒く迎えたが、この試合も5打数4安打2本塁打6打点と大活躍[1]。満塁本塁打とサヨナラ本塁打の2本を1試合で打った選手は、1968年野村克也以来、プロ野球史上16年ぶり3人目の快挙であった[1]。チーム最多の27本塁打を記録するなど長打力は発揮するものの.243と低打率に喘ぐ。この年は3連覇を逃したこともあり、1985年は投手補強を一番の方針に掲げた。台湾から郭泰源の獲得が決まったため、オフに自由契約となる[1]

そこへ横浜大洋ホエールズからトレードの話が舞い込み、1985年に金銭で移籍[1]6月20日巨人戦(横浜)で槙原寛己からサヨナラ本塁打を放つなど前半戦は活躍したが、8月になって球団の若返り方針から退団が決まる[1]。大洋では打率は多少上がったが肝心の一発が激減した。

帰国後は1986年セントルイス・カージナルスで1年だけプレーし、同年に現役を引退。引退後はデトロイト・タイガース1997年 - 1998年)、ミネソタ・ツインズ1999年 - 2012年)で一塁コーチを歴任。

来日中は遠征先でも他のナインと同じ和食の食事をとり、納豆が大好物であった[1]。畳部屋にも寝るなど性格的には何も問題のない選手であったが、夏バテという体力的な問題があったのが致命傷であった[1]。日本のポップスが好きで、ウォークマン松任谷由実の曲を聞くのがリラックス法の一つというユニークさもある選手であった[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974 MON 9 10 10 0 4 1 1 0 7 2 3 0 0 0 0 0 0 0 0 .400 .400 .700 1.100
1975 39 107 97 14 29 4 1 2 41 7 5 2 0 0 10 0 1 7 0 .299 .370 .423 .793
1976 114 309 278 32 68 11 1 2 87 21 15 7 2 0 27 2 2 31 4 .245 .316 .313 .629
1977 16 22 21 4 4 0 0 0 4 1 1 0 0 0 1 0 0 3 1 .190 .227 .190 .418
1978 18 11 10 2 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 1 0 0 3 0 .200 .273 .200 .473
CHC 59 162 136 22 37 6 0 1 46 10 4 3 1 2 23 0 1 16 3 .272 .377 .338 .715
'78計 77 173 146 24 39 6 0 1 48 10 5 3 1 2 24 0 1 19 3 .267 .370 .329 .699
1979 MON 88 161 138 30 41 7 1 3 59 18 8 4 0 1 21 1 2 23 1 .297 .395 .428 .823
1980 110 249 214 22 56 9 3 7 92 23 8 7 1 3 30 1 0 37 1 .262 .348 .430 .778
1981 59 135 119 11 26 5 1 3 42 11 5 2 2 1 13 0 0 17 0 .218 .293 .353 .646
1982 69 125 115 13 28 6 1 2 42 13 3 3 0 0 8 2 1 26 2 .243 .298 .365 .664
1983 40 47 34 4 5 1 0 0 6 0 4 0 0 0 12 1 0 8 0 .147 .370 .176 .546
1984 西武 130 527 469 70 114 15 2 27 214 68 12 7 3 6 44 4 5 75 9 .243 .315 .456 .771
1985 大洋 88 353 308 37 81 18 3 10 135 45 11 12 0 0 45 0 0 65 2 .263 .357 .438 .795
1986 STL 25 29 24 1 3 0 0 1 6 3 0 0 1 2 2 0 0 3 1 .125 .179 .250 .429
MLB:11年 646 1367 1196 155 303 50 9 21 434 109 57 28 7 9 148 7 7 174 13 .253 .337 .363 .700
NPB:2年 218 880 777 107 195 33 5 37 349 113 23 19 3 6 89 4 5 140 11 .251 .330 .449 .779

記録

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NPB

背番号

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  • 37 (1974年 - 1978年)
  • 32 (1978年 - 1979年)
  • 18 (1979年 - 1983年)
  • 3 (1984年)
  • 8 (1985年)
  • 25 (1986年)
  • 48 (1997年 - 1998年)
  • 13 (1999年 - 2012年)

登録名

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  • ジェリー (1984年)
  • ホワイト (1985年)

脚注 

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関連項目

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外部リンク

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