ジェリー・ペニャロサ
基本情報 | |
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本名 | ジェロニモ・ペニャロサ |
通称 | ジェリー |
階級 |
スーパーフライ級 バンタム級 |
身長 | 163cm |
リーチ | 165cm |
国籍 | フィリピン |
誕生日 | 1972年8月7日(52歳) |
出身地 | ネグロス・オクシデンタル州サン・カルロス |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 65 |
勝ち | 55 |
KO勝ち | 37 |
敗け | 8 |
引き分け | 2 |
ジェロニモ・"ジェリー"・ペニャロサ(Geronimo "Gerry" Penalosa、1972年8月7日 - )は、フィリピンのプロボクサー。日本では川島郭志を破ったことや徳山昌守と2度の激闘を繰り広げたことで知られる。
フィリピンではペニャロサ三兄弟の三男として知られている。長兄のドディ・ボーイ・ペニャロサはIBF世界ライトフライ級・フライ級の2階級制覇を達成し、次兄のジョナサン・ペニャロサもフライ級での世界挑戦経験がある。また、父親のカール・ペニャロサも藤猛のOBF東洋スーパーライト級王座に挑戦した経験のある元ボクサーである。
来歴
[編集]1989年5月20日、デビュー戦、5ラウンドKO勝利。
1990年1月18日、空位のIBFインターコンチネンタルライトフライ級王座を獲得。
世界王座獲得
[編集]1997年2月20日、両国国技館でWBC世界スーパーフライ級チャンピオンの川島郭志(ヨネクラ)の指名挑戦者として対戦。一進一退の攻防を繰り広げ、2-1の僅差の判定で川島を下し、世界王座獲得に成功する。
王座獲得後は、鬼塚勝也と接戦を演じた李承九との対戦を含む3度の防衛に成功するが、1998年8月27日に韓国の曺仁柱に1-2の判定で敗れ王座陥落。
世界王座陥落後
[編集]王座陥落後、しばらく試合から遠ざかる。1999年6月5日の再起戦は、NABA北米スーパーフライ級タイトルがかかった試合であった。ペニャロサはこれに2RKOで勝利し、再び世界へと挑戦することになった。
2000年1月2日、指名挑戦者として曺仁柱とのリターンマッチに臨む。しかし、結果はまたも1-2の僅差判定負け。その後も、世界王座復帰を目指しリングに上がり、2001年5月にはマニラでの世界前哨戦で山口圭司(木村)に1RKO勝ち。
徳山との対戦
[編集]当時、長期政権を築いていた徳山と2度に渡って戦い、いずれも微妙な判定で敗れている。なお、ペニャロサは2度ともランキング1位の指名挑戦者であった。
世界王座復帰
[編集]2007年8月11日、WBO世界バンタム級タイトルマッチに出場し、王者ジョニー・ゴンサレスと対戦。大方の予想はゴンザレス有利に傾いていたが、周囲の予想に反し7RTKOでペニャロサが勝利。世界王座転落から9年後、35歳で2階級制覇を達成した。
2009年4月25日、バンタム級王座を保持したまま(試合後王座を返上)、WBO世界スーパーバンタム級王者ファン・マヌエル・ロペスに挑戦。これまで、世界戦を全て1Rで終わらせているロペスに対し、圧倒されながらも懸命に反撃するが、9R終了時点で棄権しTKO負けとなった。
2010年2月13日、WBO世界バンタム級暫定王座決定戦でエリック・モレルと対戦し、12回判定負けで王座獲得ならず[1]。
現役引退
[編集]2010年10月10日、フィリピン、サンボアンガシティで、ヨドサエンケン・キャットマンミー(タイ)と対戦し、4回1分49秒TKO勝利を飾り、試合後に現役引退を発表した[2]。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ ドネア、モンティエルとも圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月15日
- ^ 38歳ペニャロサ、65戦目で引退 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年10月13日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 川島郭志 |
WBC世界スーパーフライ級王者 1997年2月20日 - 1998年8月27日 |
次王者 曺仁柱 |
前王者 ジョニー・ゴンサレス |
WBO世界バンタム級王者 2007年8月11日 - 2009年6月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 フェルナンド・モンティエル |