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ジェシー・L・ラスキー・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェシー・L・ラスキー・ジュニア
生誕 Jesse Louis Lasky Jr.
(1910-09-19) 1910年9月19日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
死没 1988年4月11日(1988-04-11)(77歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
死因 膵癌
墓地 ハリウッド・フォーエヴァー墓地英語版
教育 ブレア・アカデミー
ハン・スクール・オブ・プリンストン
出身校 ディジョン大学
職業 脚本家小説家劇作家詩人
活動期間 1920年代 - 1988年
代表作 (映画脚本)『サムソンとデリラ』、『十戒
(自伝)Whatever Happened to Hollywood?
肩書き 全米脚本家組合映画部会 副部会長
配偶者 パット・シルバー
ジェシー・ラスキー・シニア
ベッシー・アイダ・ギンズバーグ
受賞 ボックスオフィス・マガジン賞 2回
クリストファー賞 1回
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ジェシー・L・ラスキー・ジュニア(Jesse L. Lasky Jr.、1910年9月19日 - 1988年4月11日)は、アメリカ合衆国脚本家小説家劇作家詩人

生い立ち

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ラスキーは、映画プロデューサーだった同名の父ジェシー・L・ラスキーと、その妻ベッシー・アイダ・ギンズバーグ (Bessie Ida Ginsberg) の間に生まれた。ニューヨークブロードウェイに生まれ、ロサンゼルスハリウッドや、イングランドフランスで育った。ブレア・アカデミー英語版ハン・スクール・オブ・プリンストン英語版を経て、フランスのディジョン大学フランス語版に学び、文学の学位を得た。17歳の時にの分野でいくつもの賞を受賞したことを機に、職業的な作家となるべく活動を始めた。

経歴

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ラスキーは、小説8作品、戯曲5作品、詩集3冊と、50作品を超える数の映画脚本を手がけたが、脚本のうち8作品はセシル・B・デミル監督作品であった。クリストファー賞英語版を受賞したほか、『BoxOffice』誌のボックスオフィス・マガジン賞 (BoxOffice Magazine Award) を2度、1949年の映画サムソンとデリラ』と1956年の映画十戒』で受賞した。ラスキーは、作家としての仕事で、ロンドンローマオーストリアデンマークトルコスペインポルトガルギリシャフランスなど各地へ赴いた。デヴィッド・ヘンプステッド英語版は、1954年の映画地獄と高潮』でラスキーと共作した[1]

第二次世界大戦

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第二次世界大戦中、ラスキーはアメリカ陸軍通信部隊英語版戦闘写真隊 (Combat Photographic Units) の大尉として、太平洋戦争の南西太平洋方面に従軍し、ダグラス・マッカーサー将軍から勲章を受けた。ラスキーは、通信部隊写真センター (Signal Corps Photographic Center) に陸軍映画訓練学校 (Army School of Film Training) を組織し、軍務のあらゆる分野に関する訓練映画の脚本を作成する書き手の養成をおこなった。

後年

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3年半に及んだ海外での兵役を終えて除隊したラスキーは、新たに本や戯曲、映画脚本などを書き始めた。また、クリエイティブ・ ライティング英語版ハリウッドの歴史について、アメリカ合衆国イギリスのいくつもの組織で講演し、オックスフォード・ユニオンでも講演した。全米脚本家組合では映画部会の副部会長を務めた。

1962年、ラスキーは妻パット・シルバー英語版とともにロンドンへ移り住んだ。同年の一時期にはスペイン南部に滞在したほか、広く各地を旅行した。ロンドンの紳士クラブ英語版であるギャリック・クラブ英語版や、軍事史家協会英語版の会員となった。1920年代に母親に連れられてパリへ旅行した際に藤田嗣治が描いた17歳のラスキーの肖像画は、1975年ファンク・アンド・ワグノールズ英語版から出版されたラスキーの自伝『Whatever Happened to Hollywood?』の180ページに写真が収められている。

ラスキーは、膵癌のため、1988年4月11日に死去した[2]

フィルモグラフィ

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脚注

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  1. ^ Gordon, Marsha (2017). Film Is Like a Battleground: Sam Fuller's War Movies. Oxford University Press. p. 278. ISBN 9780190269753. https://books.google.es/books?id=l3quDQAAQBAJ&pg=PA135 
  2. ^ “Jesse Lasky Jr., 79; Was a Screenwriter”. New York Times (The New York Times Company): p. 8. (1988年4月13日). https://www.nytimes.com/1988/04/13/obituaries/jesse-lasky-jr-79-was-a-screenwriter.html 2018年7月26日閲覧。 

外部リンク

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