ジェイムズ・ブランドン (軍人)
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ジェイムズ・ブランドン | |
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生誕 | 1734年??月??日 |
死没 | 1790年??月??日 ノースカロライナ州ローワン郡 |
埋葬地 | |
所属組織 | アメリカ合衆国 |
部門 | ノースカロライナ民兵 |
軍歴 | 1775年 - 1783年 |
最終階級 | 大佐 |
部隊 | ローワン郡連隊 |
指揮 | 第2ローワン郡連隊 |
ジェイムズ・ブランドン(James Brandon、1734年 - 1790年)は、ノースカロライナ・ローワン郡の初期の開拓者であり、アメリカ独立戦争におけるノースカロライナ民兵の士官であった。1782年から1783年まで第2ローワン郡連隊を指揮した[1][2]。
生涯
[編集]1734年にジョン・ブランドン・ジュニアとマリー・キャシーの息子として誕生。1754年にローワン郡でエリザベス・アームストロングと結婚。1760年と1764年にローワン郡のフォースクリーク北側の土地グランヴィルについて認可を取得し、奴隷所有者となった。彼は独立戦争以前からローワン郡安全委員会に参加。独立戦争後の1790年にローワン郡で死去、シアティラ長老派教会墓地に埋葬された[2][3][4][5]。
彼は、以下の子供をもうけた。
- ウィリアム・ブランドン
- ベンジャミン・ブランドン
- ジョン・ブランドン
- ジェイン・ブランドン・ウィルソン
- アーベル・ブランドン
- アームストロング・ブランドン
軍務
[編集]ジェイムズ・ブランドンはアメリカ独立戦争中、ノースカロライナ民兵で士官を務めた[1][3]。
- 准少佐:ノースカロライナ民兵ローワン郡連隊(-1 775年)
- 少佐:ノースカロライナ民兵第1ローワン郡連隊(1775年 - 1777年)
- 少佐:ノースカロライナ民兵ローワン郡連隊(1777年 - 1780年)
- 中佐:ノースカロライナ民兵ローワン郡連隊(1780年 - 1782年)
- 大佐:ノースカロライナ民兵第2ローワン郡連隊(1782年 - 1783年)
ノースカロライナ植民地議会は1775年10月22日に、ローワン郡連隊を第1ローワン郡連隊と第2ローワン郡連隊の2つに分割した。1777年5月9日、バーク群連隊の設立に伴い、第1ローワン郡連隊はローワン郡連隊に戻された。1782年5月1日、ローワン郡連隊は第1ローワン郡連隊と第2ローワン郡連隊の2つに分割され、ジェイムズ・ブランドン大佐は第2ローワン郡連隊の指揮を任された[1]。
戦闘
[編集]ジェイムズ・ブランドンが参加した主な戦闘は、次の通り[1]。
- 1776年:チェロキー遠征
- 1780年4月14日:モンクス・コーナーの戦い
- 1780年春:チャールストン包囲戦い
脚注
[編集]- ^ a b c d Lewis, J.D.. “James Brandon”. The American Revolution in North Carolina. March 30, 2019閲覧。
- ^ a b Barton, Christa Chaney. “The Knox and Brandon Families”. March 30, 2019閲覧。
- ^ a b Rumple, Jethro (1916). A history of Rowan County, North Carolina. Daughters of the American Revolution. Elizabeth Maxwell Steele Chapter (Salisbury, N.C.)
- ^ “Minutes of the Rowan County Committee of Safety, Rowan County (N.C.). Committee of Safety, September 20, 1775 - September 25, 1775, Volume 10, Pages 252-254”. 2020年7月12日閲覧。
- ^ Cheeeseman, Bruce S.. “Historical Research Report of Kerr Mill and Mill Bridge Community, Rowan County”. March 31, 2019閲覧。
参考文献
[編集]- Ramsey, Robert W. (1964). Carolina Cradle - Settlement of the Northwest Carolina Frontier 1747-1762. The University of North Carolina Press; Chapel Hill