コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジェイコブ・アストリー (第16代ヘースティングズ男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘンリー・ウィリアム・ピッカースギルによる肖像画、1826年。

第16代ヘースティングズ男爵ジェイコブ・アストリーJacob Astley, 16th Baron Hastings FSA1797年11月13日1859年12月27日)は、イギリスの政治家、貴族。1840年にヘースティングズ男爵位への継承権が証明され、翌年に男爵位の400年以上にわたる休止停止状態が解消され、アストリーは男爵として議会召集令状を受けた[1]。1830年代にホイッグ党所属の庶民院議員を務めたが、貴族院に移籍した後、特に1846年以降は保守党に同調して投票する事が多かった[2]

生涯

[編集]
1880年ごろのメルトン・コンスタブル・ホール英語版

第5代準男爵サー・ジェイコブ・アストリー英語版と妻ヘスター(Hester、1767年11月27日 – 1855年1月13日、サミュエル・ブラウンの娘)の長男として、1797年11月13日にノーフォーク州バーグ・ホール(Burgh Hall)で生まれ、同日にメルトン・コンスタブル・ホール英語版で洗礼を受けた[1]。1817年2月18日にオックスフォード大学モードリン・カレッジに入学、1820年6月14日にD.C.L.英語版の学位を修得した[3]

1817年4月28日に父が死去すると[1]、その遺産と準男爵位を継承した[2]。1821年から1822年までノーフォーク州長官英語版を務めた[2]

1832年イギリス総選挙ホイッグ党候補としてウェスト・ノーフォーク選挙区英語版から出馬、無投票で庶民院議員に当選したのち、1835年イギリス総選挙で2,134票(得票数2位)を得て再選したが、1837年イギリス総選挙では2,713票(得票数4位)で落選した[4]

1840年、貴族院ヘースティングズ男爵(1290年創設)への継承権があることを証明された後、1841年5月18日に議会招集令状によりヘースティングズ男爵位の停止状態が解消され、ヘースティングズ男爵として貴族院議員に就任した[2]。ヘースティングズ男爵位は1389年の第3代ペンブルック伯爵ジョン・ヘースティングズ英語版の死去により休止状態になり、停止状態になったため、さらに実に400年以上を経過してからの解除となった[1]。アストリーは3代ペンブルック伯爵の曽祖父の異母弟の18世(17代後)の末裔であり、そのうち9世と15世は女子だった[2]

貴族院では1846年以降保守党に同調して投票することが多く、1846年に穀物法廃止への反対票を、1850年に外務大臣パーマストン子爵の外交政策への譴責動議に賛成票を投じた[2]

1848年2月24日、ロンドン考古協会フェローに選出された[2]

1859年12月27日にロンドンで病死、長男ジェイコブ・ヘンリー・デラヴァルが爵位を継承した[2]

家族

[編集]
ジョージアナ・キャロライン・ダッシュウッド英語版の肖像画。ヘンリー・ウィリアム・ピッカースギル画、1826年。

1819年3月22日、ジョージアナ・キャロライン・ダッシュウッド英語版(1796年3月16日 – 1835年6月28日、第3代準男爵サー・ヘンリー・ダッシュウッド英語版の娘)と結婚[2]、2男をもうけた[5]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1902). The Complete Baronetage (1625–1649) (英語). Vol. 2. Exeter: William Pollard & Co. pp. 57–58.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 365–368.
  3. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Astley, Jacob" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 1. Oxford: Parker and Co. p. 37. ウィキソースより。
  4. ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 429. ISBN 978-1-349-02349-3
  5. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1196.

外部リンク

[編集]
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
新設選挙区 庶民院議員(ウェスト・ノーフォーク選挙区英語版選出)
1832年1837年
同職:サー・ウィリアム・フォルクス準男爵英語版
次代
ウィリアム・バッグ英語版
ウィリアム・シュート英語版
イングランドの爵位
停止
最後の在位者
ジョン・ヘースティングズ法律上
ヘースティングズ男爵
1841年 – 1859年
次代
ジェイコブ・アストリー
イングランドの準男爵
先代
ジェイコブ・アストリー英語版
(ヒル・モートンの)準男爵
1817年 – 1859年
次代
ジェイコブ・アストリー