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シーザー・カルディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シーザー・カルディーニ
Caesar Cardini
生誕 (1896-02-24) 1896年2月24日
イタリアの旗 イタリア バヴェーノ
死没 1956年11月3日(1956-11-03)(60歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 料理人、経営者
著名な実績 シーザーサラダを考案
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シーザー・カルディーニ(Caesar Cardini、1896年2月24日 - 1956年11月3日)は、イタリア生まれのアメリカ・メキシコの料理人、レストラン経営者である。ティフアナで経営していたレストラン・シーザーズ英語版で提供したサラダが、シーザーサラダとして世界中に広まった[1]。イタリア語でチェーザレ・カルディニ(Cesare Cardini)、スペイン語でセサル・カルディーニ(César Cardini)とも呼ばれる。

生涯

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カルディーニは、イタリア北部マッジョーレ湖湖畔のバヴェーノでチェーザレ・カルディニとして生まれた。カルディーニは8人兄弟であり、そのうちチェーザレを含む4人がアメリカ大陸に渡った。ネレオはカリフォルニア州サンタクルズのカジノの近くに小さなホテルを開業した[2]。アレッサンドロとガウデンツィオはメキシコシティでレストランを開いた。アレッサンドロはアメリカではアレックスと呼ばれ、チェーザレのビジネスパートナーだった。

カルディーニは1913年5月1日に客船「オリンピック」でニューヨーク港に到着し、エリス島で入国検査を受けた後、モントリオール行の列車に乗った。その後、一旦イタリアに戻った後、1919年に再度渡米した[3]。ビジネスパートナーのウィリアム・ブラウンとともにサクラメントでレストランを経営し[4]、その後サンディエゴに移った。そして、禁酒法によりアメリカ国内で酒の販売ができないことから、アメリカとの国境に接したメキシコの街ティフアナにレストランを開いた。

1924年8月27日、カリフォルニア州サンタアナでミュージシャンのカミーユ・D・スタンプと結婚した。カミーユとの間にはローザ・マリア・カルディーニ(1928-2003)という娘がいた[5]

1924年にカルディーニはシーザーサラダを考案した。当時、禁酒法で酒を合法的に入手できなかったカリフォルニア在住のアメリカ人は、国境を超えてティフアナへ行き、カルディーニのレストランを利用していた。娘のローザが1987年に語ったところによれば、1924年7月4日、捌ききれないほどの大量の客が店に来たため、カルディーニは残っていた材料を使って即興でサラダを作ることにし、客に楽しんでもらうために客席の真ん中に材料を並べて調理を行ったという[6]。このサラダは、ハリウッドのセレブリティの間ですぐに流行した。1929年頃、カルディーニは店の数ブロック先にホテルを建てた。このホテルは「ホテル・シーザーズ」として現存している。

1933年に禁酒法が廃止され、さらにメキシコ政府がギャンブル禁止令を制定したことで、ティフアナを訪れるアメリカ人は激減した[7]。1936年、カルディーニはメキシコでの事業をやめ[8]、サンディエゴに戻ってシーザー・カルディーニ・カフェを開業した[9]。その他にも、周辺の街にレストランやホテルを開業した。

1938年頃に一家でロサンゼルスに移り[1]、自身の名を冠したサラダドレッシングの製造・販売を開始した。1956年11月3日、ロサンゼルスの自宅で脳卒中を発症し、搬送先のグッドサマリタン病院で死去した。遺体はイングルウッド・パーク墓地に埋葬された[10][11]。経営していたシーザー・カルディーニ・フーズ社は娘のローザが継承した[12]。後に「シーザー・カルディーニ」のブランドは売却され、現在はT・マルゼッティ英語版のサラダドレッシング製造子会社が保有している。同社は、12種類以上のカルディーニのオリジナルレシピのドレッシングを今も提供している[13]

現在の「ホテル・シーザーズ」(2000年頃)

ティフアナの「ホテル・シーザーズ」のレストランでは、「オリジナル・シーザーズ・サラダ」が提供されている[14]

脚注

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  1. ^ a b “Cesar Cardini, Creator of Salad, Dies at 60”. Los Angeles Times. (November 5, 1956). "Since 1935 he had lived in Los Angeles and was active in the marketing of the salad dressing he concocted."  Accessed 2007-07-21.
  2. ^ "Nereo F. Cardini goes to Tijuana." Santa Cruz Sentinel (Santa Cruz, California) 22 Sep 1935, pg 8.
  3. ^ Washington, Passenger and Crew Lists, 1882-1961
  4. ^ Advertisement, Sacramento Union, December 13, 1919, pg 2.
  5. ^ “Rosa Cardini”. The Daily Telegraph. (September 21, 2003). オリジナルのOctober 12, 2007時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071012180838/http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2003/09/22/db2203.xml 2007年7月21日閲覧. "Rosa Cardini, who has died in California aged 75, turned the salad dressing created by her father, Caesar, into a staple of modern dining and a million-dollar business." 
  6. ^ "Caesar hailed— His salad's never tossed out", by Jeanne Ambrose, Honolulu Star-Bulletin, June 3, 1987, p.E-1
  7. ^ San Diego Union, July 22, 1935; July 23, 1935; June 19, 1936. La Prensa, July 27, 1935.
  8. ^ San Diego Union, July 1, 1936. Los Angeles Times, July 2, 1936.
  9. ^ "Cafe Operator Remodels Downtown Corner." San Diego Evening Tribune, September 16, 1936. Grand opening display ad, San Diego Union, September 18, 1936. See also "Caesar Cardini Cafe." Classic San Diego: tasty bites from the history of San Diego. Web.
  10. ^ “Caesar Cardini Funeral”. Los Angeles Times. (November 7, 1956)  Accessed 2007-07-23.
  11. ^ See details and a picture of his gravestone at Findagrave
  12. ^ "At the age of 10, Rosa helped to bottle her father's famous recipe, which the family sold from their station wagon at Los Angeles' Farmers Market after moving from San Diego." (From a 1987 interview with Rosa Cardini)
  13. ^ See Cardini's Salad Dressings Product Info [1] Archived 2018-02-10 at the Wayback Machine. product details.
  14. ^ Caesar's - Grupo Plascencia”. www.grupoplascencia.com. 3 January 2021閲覧。