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シルヴィア・ヒッチコック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シルヴィア・ヒッチコック
Sylvia Hitchcock
1968年
プロフィール
生年月日 1946年1月31日
没年月日 2015年8月15日
没年齢 69歳(数え70)
出身地 マサチューセッツ州ヘイブリル
死没地 フロリダ州レイクウェールズ
瞳の色 ブラウン
毛髪の色 ブラウン
公称サイズ(1967[1] [2]時点)
身長 / 体重 171.5 cm / kg
スリーサイズ 90.2 - 61 - 92.7 cm
活動
ジャンル ファッション
備考 ミス・ユニバース1967
他の活動 女優・TVアンカー
外部リンク
データベース IMDb
モデル: テンプレート - カテゴリ

シルヴィア・ヒッチコック(Sylvia Louise Hitchcock-Carson、1946年1月31日 - 2015年8月15日)は、アメリカ合衆国のモデル。1967年、第16回ミス・ユニバース世界大会(ミス・ユニバース1967)優勝。

経歴

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1946年1月31日、マサチューセッツ州ヘイブリルに生まれる[3]

フロリダ州マイアミに育つ[4]。家は鶏と七面鳥を生産する農家[5]

フロリダ州マイアミ・デイド郡パインクレストマイアミ・パルメット・ハイスクール卒業。マイアミ・デイド郡のマイアミ・デイド・カレッジ卒業[6]

アラバマ州タスカルーサ郡タスカルーサアラバマ大学に編入学。美術を学ぶ[7][8]

以前よりフロリダ州ローカルのミスコンに出場していたが、大学在学中の1967年、アラバマ州を代表してミスUSAに出場。5月22日、ミスUSA1967に選ばれる[9]

7月15日、フロリダ州マイアミビーチで開催された世界大会で優勝[7]、スウェーデンのマルガレータ・アルヴィットソンより戴冠される。大学での学位取得は断念[6]

その後

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1968年5月30日第52回インディアナポリス500マイルレースに登場[6]

ミスとしての任期の後、ニューヨークでモデルプロダクションと契約する[10]が、すぐにマイアミに戻ってテレビのアンカーとして働く[11][8]

1970年、フルーツの収穫機で知られる発明家[12]のWilliam Carsonと結婚。3人の子供を儲ける[6]

1972年ミス・ユニバース1972審査員[13]

1974年ミス・ユニバース1974ゲスト[14]

その他、Imperial Symphony Guild of Lake Wales, アメリカ革命の娘, アメリカ心臓協会, アメリカがん協会, キリスト教青年会に関与する。1980年代以降フロリダ州レイク・ウェールズに暮らす[15]

2015年8月15日、骨に浸潤した肺がんで死亡。享年69[15]

フィルモグラフィ

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  • 1968年4月26日: The Bob Braun Show (Herself) ※Sylvia Hitchcock Carson名義
  • 2016年3月3日: Beneath the Crown (Herself) ※Sylvia Hitchcock Carson名義

出典

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  1. ^ Sylvia Hitchcock Carson Biography”. IMDb. 2022年2月15日閲覧。
  2. ^ “Sylvia Hitchcock Crowned Miss U.S.A. on Saturday”. Lawrence Journal-World. (1967年5月22日). https://books.google.co.jp/books?id=s8xTAAAAIBAJ&pg=PA6&dq=sylvia+hitchcock&article_id=5800,2538115&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwisgqCjh9OAAxXQplYBHSVSAs4Q6AF6BAgPEAM#v=onepage&q=sylvia%20hitchcock&f=false 2023年8月11日閲覧。 
  3. ^ “New Miss USA sees no big disadvantages from beauty”. Herald-Tribune (La Défense, Hauts-de-Seine, France). (1967年5月22日) 
  4. ^ “Miss USA Not the Prettiest”. The Evening Independent (St. Petersburg, Florida). (1967年5月22日) 
  5. ^ Daslan Melo Lima (2015年8月22日). “SESSÃO NOSTALGIA -Em memória de Sylvia Louise Hitchcock, Miss Universo 1967”. Passarela Cultural. 2022年2月15日閲覧。
  6. ^ a b c d Sylvia Hitchcock”. PageantPlanet. 2020年10月31日閲覧。
  7. ^ a b “Miss Universe is first from USA since 1960”. The Lewiston Daily Sun (Lewiston, Maine). (1967年7月17日) 
  8. ^ a b Miriam Gessner (1977年3月6日). “Former Miss USA Uses Intelligence, Common Sense to Make Good Impression”. Lakeland Ledger (Lakeland, Florida) 
  9. ^ William Tucker (1967年5月18日). “Oregon, Virginia Lead Miss USA Beauty Pack”. The Miami News (Miami, Florida) 
  10. ^ Fred Abel. “Sylvia Hitchcock Carson, Miss Universe 1967”. PAGEANTRY. Glamour Lifestyle Industry. 2022年2月15日閲覧。
  11. ^ Miss Universe 1967 Sylvia Hitchcock looses battle against Cancer”. Angelopedia. Angelopedia (2015年8月19日). 2022年2月15日閲覧。
  12. ^ US3561204A Fruit picker”. patents.google.com. 2022年2月15日閲覧。
  13. ^ “Aussie Beauty is Winner”. The Victoria Advocate (Victoria, Texas). (1972年7月30日) 
  14. ^ Celso de Guzman Caparas (2015年8月20日). “1967 Miss U Sylvia Hitchcock, 69”. philstarGLOBAL. Philstar Daily Inc.. 2022年2月15日閲覧。
  15. ^ a b Madison Fantozzi (2015年8月27日). “Miss Universe 1967 dies at 69”. TheLedger. Gatehouse Media, LLC.. 2022年2月15日閲覧。