特殊プロダクションカー
特殊プロダクションカー (とくしゅプロダクションカー、仏: Voiture de Production Spéciales, 英: Special Production Car) は、かつてモータースポーツ用に規定されていた競技用自動車の一類型である。量産乗用車の基本設計を基に競技専用に特別製造されていた。量産車の基本輪郭のみ残したも同然の規定であることから、シルエットフォーミュラ(スーパーシルエット)の異名を持つ。
概要
[編集]国際自動車連盟の国際モータースポーツ競技規則付則J項に1976年から1981年まで規定されていた[1]。 公認生産車のカテゴリーAにグループ5として属しているが、カテゴリーAの公認車両である量産ツーリングカー (グループ1) からグランドツーリングカー (グループ4) を基にしていれば生産台数の要件はない。
市販乗用車の車体をベースとしているが、大幅な改造のうえにエンジン等はレース専用に設計・製作されたものを使用し、「フォーミュラカー」のような純レーシングカーに、市販乗用車のシルエットだけ残るということから「シルエットフォーミュラ」と呼ばれるようになった[2]。現在ではこのようなレーシングカーの形態は一般的であるが、当時はまだ珍しく、レース業界に衝撃を与えた。
歴史
[編集]1976年(昭和51年)国際自動車連盟 (以下、FIA) は、それまでスポーツカー (1975年までの試験的競技車カテゴリーBグループ5) で競われていたメイクス世界選手権を、特殊プロダクションカー (以下、シルエットフォーミュラ) で競うことに変更した[3]。 連続24月間内に400台の製造を最低要件とされた市販車のイメージを残すシルエットフォーミュラで、より多くのメーカーの参加を目論んだFIAだったが、意に反しポルシェのワンサイドゲームとなり、決して成功したカテゴリーとはならなかった[4]。
ル・マン24時間レースにも参戦できたが、基本的には二座席レーシングカー (1976年からのレーシングカーカテゴリーBグループ6[注釈 1])の後塵を拝していた。しかし1979年にグループ6勢のトラブルによる脱落もあって、グループ5のポルシェが表彰台独占での総合優勝を果たした。
メイクス世界選手権は1981年から世界耐久選手権となり、対象車両もかつてのスポーツカーの後継類型といえる二座席レーシングカーに変更され、翌1982年には競技車両規定が全面改編され、それと同時にシルエットフォーミュラは廃止された[5]。
日本におけるシルエットフォーミュラ
[編集]1979年(昭和54年)から富士グランチャンピオンレース(富士GC)のサポートレースとして「富士スーパーシルエットシリーズ」(富士SS)が開始された[6]。当初はTS(特殊ツーリングカー)クラスのマツダ・サバンナRX-3と、GTクラスの日産・フェアレディZがそのまま参戦していたが、ほどなくして日産から710/PA10型バイオレットターボが参戦し、トヨタはトムスがシュニッツァーチューンのRA20系セリカLBターボを輸入して参戦した。その後、日産はS110型シルビア・ガゼールターボを、トヨタは童夢製作のRA40系セリカターボをそれぞれ投入した。
1982年(昭和57年)には、日産はR30型スカイライン(長谷見昌弘)、S110型シルビア(星野一義)、910型ブルーバード(柳田春人)を投入[6]。これら「日産ターボ軍団」とBMW・M1の激突で、富士や筑波サーキットで開催されたスーパーシルエットレースは大いに人気を博した。これがきっかけとなり、日産は1984年(昭和59年)にニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)を設立するなど、本格的なワークス活動を再開することになる。
国際的には1982年(昭和57年)を最後にカテゴリが消滅したため、日本におけるスーパーシルエットレースも段階的に縮小し、シリーズ戦は1983年(昭和58年)限りで終了[7](WEC-JAPANには特認で「GT-JAPAN」クラスが設けられた)。1984年(昭和59年)には2戦だけが開催され、これをもって完全に終焉となった。
その後、1999年(平成11年)に全日本ツーリングカー選手権の後継レースとして「Super Silhouette Car Championship」(SSCC)なるレースが企画されたが、このレースで使われる予定だった「スーパーシルエット」は市販車とは別のパイプフレームシャシを持つなど、むしろストックカーに近く、1980年代のスーパーシルエットとは全く異なっていた。最終的にシリーズ開催は実現せず、マシンもトヨタ・チェイサーベースのプロトタイプ車が製作されるのみに留まった。
玩具等
[編集]日本では1970年代後半から1980年代前半にかけて、当時のスーパーカーブームに乗る形で田宮模型(現・タミヤ)から多数のシルエットフォーミュラがプラモデル化されたこともあり、当時の年少ファンを中心に人気があった。田宮模型からはポルシェ・935のほか、BMW・320i turbo、ランチア・ストラトスターボ、フォード・カプリ、そして西ドイツのトヨタディーラーがシュニッツァー・モータースポーツにエンジンの製作とチューンを依頼し、ドイツレーシングカー選手権を戦っていたRA20系トヨタ・セリカLBターボがモデル化された。変わったところでは、ランボルギーニ・カウンタック、トヨタ・2000GTをそれぞれ架空のシルエットフォーミュラ化した車両が製品化(前者はフジミ模型、後者は青島文化教材社)されており、トヨタ・2000GTは漫画『サーキットの狼』にも登場している。
代表的なベース車両
[編集]注釈
[編集]- ^ 試験的競技車は1975年をもって廃止されたため、それまでカテゴリーCであったレーシングカーが1976年からカテゴリーBとなった
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『Racing on Archives』第14巻、三栄、2019年12月25日、ASIN B07RLG587B。