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シリヴェストル・トドリヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シリヴェストル・ヤセーヴィチ・トドリヤ
Сильвестр Ясевич Тодрия
სილიბისტრო ესეს ძე თოდრია
イサーク・ブロツキーロシア語版によるトドリヤの肖像画(1920年)
生年月日 (1880-01-16) 1880年1月16日
出生地 ロシア帝国クタイス県ロシア語版オズルゲチ郡ロシア語版ヤネウリ
没年月日 (1936-06-08) 1936年6月8日(56歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
グルジア社会主義ソビエト共和国トビリシ
前職 新聞編集者
所属政党 ボリシェヴィキ

ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
中央執行委員会書記
在任期間 1933年2月28日 - 1936年6月8日

全グルジア中央執行委員会書記
在任期間 1924年 - 1927年
1929年 - 1933年

グルジア社会主義ソビエト共和国
社会保障人民委員
在任期間 1921年 - 1922年

グルジア社会主義ソビエト共和国
農業人民委員
在任期間 1922年 - 1922年

グルジア社会主義ソビエト共和国
労働人民委員
在任期間 1927年 - 1929年

その他の職歴
グルジア社会主義ソビエト共和国
チフリス革命委員会議長

(1921年2月26日 - 6月10日)
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シリヴェストル・“シリヴァ(シリヤ)”・ヤセーヴィチ・トドリヤロシア語: Сильвестр (Сильва / Силия) Ясевич Тодрия1880年1月16日 - 1936年6月8日)、民族名シリビストロ・“シリア”・エセス・ゼ・トドリアグルジア語: სილიბისტრო (სილია) ესეს ძე თოდრია)は、グルジア人のボリシェヴィキ政治家・作家。ロシア語で名はシリビストロ (Силибистро)[1]、父称はイセーヴィチ (Исеевич) とも[2]

生涯

[編集]

1880年1月16日(ユリウス暦4日)、ロシア帝国クタイス県ロシア語版ヤネウリの極貧の農家[3]に生まれた[4]1901年ロシア社会民主労働党に入党し、同年から1915年までバクーで党の地下出版局を指導した[5]バトゥムモスクワサンクトペテルブルクヴィボルグなど各地の党出版所で活動し、『フペリョード』・『プロレタリー』紙の[5]1915年にはチフリスで『ブルゾーラ』(ru)・『カフカースキー・ラボーチー』(ka) 両紙の発行に関わる[6]。1901年のバトゥム印刷労働者ストや1905年モスクワ十二月蜂起ロシア語版にも参加している[5]。帝政時代に7回、グルジア民主共和国時代に2回の逮捕を経験している[3]

1917年にはボリシェヴィキ・チフリス委員会およびカフカース地方委員会のメンバーに就き[4]、同年からユーモアと風刺に特化した政治作家としての活動を始めた[3]1920年コミンテルン第2回大会英語版にも出席し[5]グルジア社会主義ソビエト共和国の成立後は1921年2月26日から6月10日まで初代チフリス革命委員会議長を務めた[6]。同年から翌1922年まで社会保障人民委員、1922年に農業人民委員、1924年から1927年まで全グルジア中央執行委書記、同年から1929年まで労働人民委員、同年から1933年まで再度全グルジア中央執行委書記に就いた[4]。作家としてはグルジア・プロレタリア作家協会の創立者・会長として風刺雑誌『クロコディルロシア語版』編集者[6]・寄稿者となり[3]1930年からは『メブルゾリ・ウグメルト』誌編集者として反宗教宣伝の先鋒に立った[7]

ソビエト連邦中央執行委メンバー[5]、1933年2月28日からザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国中央執行委書記ともなったが、在職中の1936年6月8日にトビリシで死去し[4]、同地のムタツミンダ・パンテオンロシア語版へ葬られた[6](共産主義者としてはシモン・ジュゲリ (ka) に続いて2番目の被葬者[8])。トドリヤの名はトビリシの通りに付けられた[6]。しかし、トドリヤの遺体はフィリップ・マハラゼミハ・ツハカヤとともに、1989年末にフダドフの森 (ka) に改葬された[9]

脚注

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  1. ^ Тодрия Сильвестр Ясевич - большевик”. Наш Баку. 2018年4月14日閲覧。
  2. ^ Соловейчик В. “Солдат революции”. Рабкор.ру. http://rabkor.ru/columns/editorial-columns/2015/01/16/soldier-of-the-revolution/ 2018年4月14日閲覧。 
  3. ^ a b c d ТОДРИЯ // Стансы — Фортегуерри. — М. : Художественная литератураロシア語版, 1939. — (Литературная энциклопедия : [в 12 т.] / гл. ред. А. В. Луначарский ; 1929—1939, т. 11).
  4. ^ a b c d Тодрия Сильвестр Ясевич”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年4月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e ТОДРИЯ // ТААНАХ — ФЕЛЕО. — М. : Советская энциклопедия, 1973. — (Советская историческая энциклопедия : [в 16 т.] / гл. ред. Е. М. Жуков ; 1961—1976, т. 14).
  6. ^ a b c d e სილია თოდრია”. საქართველოს პარლამენტის ეროვნული ბიბლიოთეკა英語版. 2018年4月14日閲覧。
  7. ^ მეტრეველი, საბა. “მებრძოლი უღმერთოები - ანტიმართლმადიდებლური პოლიტიკა (წერილი მესამე)”. საზოგადოებრივ-პოლიტიკური გაზეთი "პრემიერი". http://premieri.ghn.ge/com/news/view/732 2018年4月14日閲覧。 
  8. ^ ბერულავა, ლაშა (2011年2月6日). “დიადთა სახელებს ამოფარებულ „ჩამომთაწმინდებულთა“ ისტორია”. presa.ge. http://presa.ge/new/?m=society&AID=3029 2018年4月14日閲覧。 
  9. ^ ელისაშვილი, ალექსანდრე (2012年1月4日). “ხუდადოვის ქუჩის სასაფლაო – მეორე თანრიგის ბოლშევიკთა პანთეონი”. SOVLAB. http://sovlab.ge/ka/blog/bolshevikebis-sasaplao-aleksandre-elisahvili-sovlab 2018年4月27日閲覧。 
公職
先代
ガミド・スルタノフロシア語版
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国中央執行委員会書記
1933年2月28日 - 1936年6月8日
次代
なし
先代
パルメン・サバシュヴィリ
全グルジア中央執行委員会書記
1924年 - 1927年
次代
シャルヴァ・マチカシュヴィリ
先代
ヤーコフ・ヴァルジエリ
全グルジア中央執行委員会書記
1929年 - 1933年
次代
テンギズ・ジュゲンチ
先代
なし
グルジア社会主義ソビエト共和国チフリス革命委員会議長
1921年2月26日 - 6月10日
次代
サーシャ・ゲゲチコリ