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シュノイキスモス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シュノイキスモス[1]シノイキスモスとも[2]古希: συνοικισμóς)とは、歴史学の用語で、古代ギリシア特有の国家形態である「ポリス」が、村落の合併により生まれた過程を指す言葉。日本語では集住(しゅうじゅう)と訳される[2]

語源は、古代ギリシア語で「ともに」を意味する前置詞シュン」と、「家」を意味する名詞オイコス英語版」からなる複合語である。

この言葉はトゥキュディデス戦史』やプルタルコス英雄伝』に見られる[3][4]。両書によれば、アテナイ初期の王テセウスが、アテナイ一帯(アッティカ地方)の村落を合併させて(すなわち集住させて)、アテナイのポリスを生み出した[5]。ただし両書のあいだでニュアンスに違いがあり、プルタルコスの場合は物理的に移住させたのに対し、トゥキュディデスの場合は評議所や役所を合併させた(国制統合、シュンポリテイア)とされる[3]。このテセウスの事績は後世「シュノイキア祭」として祝われた[5][6]。現代の学界では、実際はテセウスの事績でなく、前8世紀ごろまでに徐々に起こったと推定される[3][5][7]

アテナイやスパルタでは前8世紀ごろ(暗黒時代の終わり、アルカイック期の始まり)までに起こったのに対し、エリスロクリスロドスマンティネイアでは前5世紀から前4世紀(アルカイック期から古典期)に起こった[8]

対義語は「ディオイキスモス」(分住)で、マンティネイアが戦争に敗れ解体されるときに起こった[3][8]

20世紀末から21世紀の学界では、従来の「アテナイ中心史観」的なポリス像の再検討が進んでいる[9]。そのなかで、集住を経ていないポリスもあったこと、集住をせずに村落結合体(エトノス)として栄えた地域もあったこと、などが指摘されている[10]

脚注

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  1. ^ シュノイキスモス』 - コトバンク
  2. ^ a b シノイキスモス』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 周藤 & 村田 2000, p. 125ff.
  4. ^ トゥキュディデス 2.15.1 ; プルタルコス 24.1
  5. ^ a b c テセウス』 - コトバンク
  6. ^ 新村 1962, p. 44.
  7. ^ 新村 1965, p. 19.
  8. ^ a b 新村 1965, p. 21.
  9. ^ 橋場 2023, p. 43f.
  10. ^ 橋場 2023, p. 51.

参考文献

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  • 周藤芳幸; 村田奈々子『ギリシアを知る事典』東京堂出版、2000年。ISBN 9784490105230 
  • 新村祐一郎「シュノイキスモスについて―スパルタとアテナイの場合―」『古代史講座 第6』学生社、1962年。doi:10.11501/2973557https://dl.ndl.go.jp/pid/2973557/1/22 
  • 新村祐一郎「シュノイキスモスの意味について」『歴史教育』第13-4号、歴史教育研究会、1965年。 NAID 40003821595 
  • 橋場弦「ギリシアとヘレニズム――ポリスと周辺世界のダイナミズム」『岩波講座世界歴史 第2巻 古代西アジアとギリシア ~前1世紀』岩波書店、2023年。ISBN 9784000114127 

関連項目

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