チャーレス・ラウトロプ
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(シャーレス・ラウトルップから転送)
チャーレス・ラウトロプ Charles Lautrup | |
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別名 |
シャーレス・ラウトルップ チャールズ・ラウトルップ |
生誕 |
1894年1月17日 デンマーク コペンハーゲン [1] |
死没 | 不明[2] |
学歴 |
コペンハーゲン大学 シュテルン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者、ピアニスト、音楽教師 |
チャーレス・ラウトロプ(Charles Lautrup, 1894年1月17日 - 没年不明)は、デンマーク出身の指揮者、ピアニスト、音楽教師。
経歴
[編集]コペンハーゲンに生まれる。コペンハーゲン大学でヴィックスにピアノを、ベルリンのシュテルン音楽院でカール・シュレーダー2世に管弦楽法と指揮法を師事した。1921年にデンマーク王立劇場長に就任。文部省在外研究員の船橋榮吉の推薦により、1926年に東京音楽学校に招かれ来日し、同年1月から1931年6月まで同校で管弦楽、合唱、唱歌を教えた[1][3]。1926年4月に帝国ホテルでピアニストとして演奏会に出演し、同じくピアニストのレオニード・コハンスキと共演した[4]。指揮者として新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と1927年3月13日の第3回定期公演(日本青年館)、1928年10月23日の演奏会、1930年10月15日の第75回定期公演(日本青年館)で共演している[5]。1931年にアメリカ合衆国のオーケストラの指揮者として招聘され、同年6月27日に横浜港発の客船エンプレス・オブ・カナダ (RMS Empress of Canada) で米国に向かった[1][6]。同日、出港前の船の甲板で東京音楽学校校長乗杉嘉壽によるラウトロプへの勲六等単光旭日章の伝達式が行われた[1][7]。
教え子
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1226–1230, 第3章 大正・昭和の東京音楽学校. 第5節 教職員. 2 外国人教師. (7) シャーレス・ラウトルップ Charles Lautrup.
- ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, p. 1579.
- ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1579, 1592, 1606.
- ^ 日本の洋楽百年史 1966, pp. 394–395.
- ^ “演奏会記録(2019年8月6日アーカイブ分)”. NHK交響楽団. 2020年2月27日閲覧。
- ^ 橋本國彦「袂別を惜しまるゝラウトルップ教授」『月刊楽譜』 20巻5号、松本楽器、1931年、2-4頁。 NCID AN00384045。
- ^ 「ラウトルツプ教師叙勲」『同聲會會報』 昭和六年七・八月、同聲會、1931年、18頁。 NCID AN10219624。
- ^ “橋本 國彦”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 神月朋子「平尾貴四男によるフランス音楽受容 : 異文化理解と伝統の創造」『埼玉大学紀要. 教育学部』第62巻第1号、埼玉大学教育学部、2013年、215-226頁、doi:10.24561/00017652、2020年2月27日閲覧。
- ^ “松平頼則”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 大日本音楽協会 編「東儀 秀子」『音楽年鑑 昭和16年度』共益商社書店、1941年、196頁。NDLJP:1109457 。2020年3月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京芸術大学百年史編集委員会 編『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年。ISBN 978-4-2760-0615-7。
- 秋山龍英 編『日本の洋楽百年史』第一法規出版、1966年。